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世界中の本好きのために

岡本浩一

Profile

1955年、大阪府生まれ。東京大学文学部卒業、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。 これまで、オレゴン大学客員助教授(フルブライト研究員)、国際政治心理学会理事、カーネギーメロン大学大学院博士学位審査委員を兼務。 専門は社会心理学、リスク認知、組織風土測定。 著書に『「塾いらず」でわが子の学力を伸ばす法』『ナンバー2が会社をダメにする 「組織風土」の変革』『権威主義の正体』(PHP研究所)、『「上達の型」を身につける―能力アップの実践心理学』(ライオン社)など。 『一億人の茶道教養講座』『茶道心講 茶道を深める』(淡交社)等、茶道関連の著書も多数。

Book Information

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社会心理学が未来に残せるもの



東洋英和女学院大学人間科学部教授を務める社会心理学者の岡本浩一さん。ある時は茶の世界の師範、将棋ではプロと張り合う腕前、その豊富な知識と感性の原点は音楽でした。「まだ見ぬ友を、本に書き記したい」という岡本先生の想いを、歩みを辿りながら伺ってきました。

小4で自らクリスチャンに、「ロン毛にヘアバンド」の学生時代


――こちらに伺う途中、ギターのお話が出てきました。


岡本浩一氏: クラシックギターは、学生のころにしていました。妹も長く音楽の修行をしていて、フランスオペラのトップにいます。ぼくの幼少期は、ピアノから始まります。習い始めたのは3歳くらいで、10歳になるとグランドピアノを買い与えられました。そのうち家に6台のピアノがある状態となり、買ったピアノを置くために2軒目の家を作ったような音楽一家でした。家にはたくさんの人が習いに来ていましたし、最も初期のハモンドオルガンもありました。僕の将来について、生まれた時にはすでに、「こいつは指揮者にする」と、父が勝手に決めていました。結局、小学校4年生くらいの時に猛烈な反抗期があってやめてしまうのですが、リコーダーは好きで、その道へ進もうかと思うくらい一時期は凝っていました。

それから将棋の棋士になろうと思ったこともあります。大人になってから有線テレビにも2回出させていただきました。一度は清水市代さんと。勝てるかな、と思いましたが、やはり執念が違って、最後にはバサッといかれましたよ(笑)。それがまだ40歳ぐらいの時で、4、5年前は高橋道雄9段とも対戦させていただきました。途中までは良かったのですが、最後には負けてしまいました。実は、音楽も将棋も、学生時代は心理学のために長らく封印していました。

――その心理学の道に進む過程でも、色々ありそうですね。


岡本浩一氏: ぼくの母は小学校の教師をしていたので、私の育て役として、戦争未亡人の女性に、毎日家に来てもらっていました。彼女はクリスチャンで、日曜日は教会に通っていました。ぼくは、家で音楽を教えている父の邪魔にならないよう、教会の日曜学校へ行くことになります。小学校4年生になると、洗礼を受けると言い出して、30歳過ぎくらいまでクリスチャンでした。まあそんな感じでしたから、上の人に素直にハイと言える性格ではないので、会社のようなところに入ると、潰されてしまうのではないかと、小さい時から思っていました(笑)。

それで、大工さんのように、手に職をという思いがありました。親戚の家が工務店をしており、大工さんは身近な存在でした。また高校3年生の時にAFS奨学生としてアメリカの高校へ留学しましたが、そこのホストファザーは船乗りであり、政治家でもある人でした。そういう環境にいたこともあって、会社に雇われて働くということは考えませんでした。

留学先のオレゴン州アストリア高校にはとても良い暗室があったので、写真科へ進みました。その高校は、日本でいう実業と普通科が一緒になったような総合的な学校で、そこでしかできないことをやろうと思ったのです。最後の半年は、デイビット・ボーマンという写真家の助手もしていました。高校3年生の夏にアメリカから戻り、日本の高校に復学して卒業しました。東大の理Iに進んだ時は20歳になっていました。学生の時は歴史がつまらなくて……、歴史上の人物についても、それはその人の人生で私の人生ではないから(笑)と、興味を持てませんでしたが、数学や物理の世界には素晴らしさを感じ最初はそちらへ進みました。

大学時代はとても迷いの多い時期で、一生分迷ったのではないでしょうか。例えば、自分はどんな女が好きなんだとか(笑)。理系から文系に変わった時期には、音楽家になろうかと迷っていて、芸大へ入りなおそうと真面目に悩んだこともありました。迷いつつ、時間に押し流されていました。それから、当時はロン毛で、ヘアバンドをしていました。どこからどう見ても、社会に不適応な感じでした。ぼくは、自分が不適応だということを、その格好で表現したのだと思います。授業では、当てられるたびに「おい、そこのヘアバンド」と言われていて、未だに同窓会でも覚えている人がいますよ(笑)。

髪を切り入門!? 社会心理学への道のり



岡本浩一氏: さらには大学時代、小説家になろうとも思っていまして、マイナーな賞は幾つか取って、つぎは芥川賞を、と日々原稿用紙に向かっていました。大学3年生の夏休みくらいの時、私の最初の指導教官になられた古畑和孝先生という方が、その情報を誰かから聞いたようで、私の小説を読んでくれていました。その上で「それも立派な生き方だけど、ゼミでの君の発表の質や発言を見ていると、社会心理学も良いのでは」と言ってくださり、さらには「俺のゼミに来るのか」とお誘いを受けました。「大学院まで進みたい」と話をしたところ「まずは髪を切りなさい」と(笑)。

――髪を切って……「入門」する感じでしょうか(笑)。


岡本浩一氏: 「平均的な人の社会的判断というものを引き出さなければいけないので、その格好ではできない」と言われ、髪を切って、入門ですね(笑)。吉田拓郎さんの歌にそんな歌詞があったと思いますが、やけに心に染みました。長くなりましたが、そこからがぼくの社会心理学者としてのスタートです。アメリカ留学時にお世話になった政治家のホストファザーの影響で、何か政治に影響を与えるような仕事をと考えていたので、社会心理学は新しい学問だったし、最終的にはリスク心理学をやることになって、社会と密接に関わる事が出来たので、良かったかなと思っています。



ただ新しい分野であるリスク心理学を始めた時は、研究費がなかなか確保できず苦労しました。足りないお金は役所から出してもらって、政府の委嘱研究という形で細々とやっていました。僕がリスク心理学の勉強をするために留学したのが93、94年で、日本に帰ってきてからは、国の委員会などに出るようになってきていましたが、まだ自分の中で、この道でやっていくんだと言う確固たるものはありませんでした。

それが東海村のJCO臨界事故で一変しました。リスク心理学は科学研究補助金でも重点領域になり、専門家を育てようという国策になったのです。東海村JCO臨界事故が起こってから、文科省が社会技術研究システムというのを作ることになりました。私はその立ち上げに参加し、最初の6年間は、社会心理学の研究全体を指揮しました。そこでの業績を、英語の論文だけではなく、国内向けに「本」という形にして、世間に発表する。そういう流れで、本を書くようになりました。

“まだ見ぬ友”を書き出す


――様々な分野の成果を、本に記されています。


岡本浩一氏: 自分が死んだ後、残るのは本だけです。本を書くことはとても大切に思っています。昔、長女から「岡本浩一という人間は、書いて残したものだけによって知られたいっていう感じで書いているんだね」と言われたことがあります。お茶の世界でも、あまり人前には出ません。書いたもので知ってもらうほうがいいと思っています。



書くという行為は自分の知っていることや自分の考えを伝える場ですが、もう一つ、それを読む読者を、よく知っていなければいけません。例えば、ぼくのお茶の本を手に取る人の立場や、そういう人が何に迷うかということまで、考えた上で書きます。どこから手をつけたらいいだろうかという時に、何を見ながら考えたらいいか、また迷っている人が何に迷うのかということを、ぼくがちゃんと深く理解して書いて、伝えなければいけません。最近出した『一億人の茶道教養講座』という本には、お茶を習っているけれども、まだお茶の全体感が見えないと思っている人、それからお茶はしないけれども、茶道というものを一通り教養として知っておきたいという人、その二種類の人を想定して書いています。

本を書くとき「この本を必要とする人はどこにいるんだ」ということです。町工場のおっちゃんだったり、学者だったり、読み手の顔を思い浮かべながら書きます。昔書いた、女性向け恋愛本は、ぼくの娘たち二人が、ちょうど結婚直前ぐらいの男にだまされかねない年ごろだったので、悪い男の見分け方と振り方を、ちゃんと伝えておこうと思って書きました(笑)。

僕が死んだ後になってから見る読者もいるとしたら「この著者は、私がこの本を手に取ることをはるか前に知っていたんだな」という感覚を持ってもらいたいですね。まだ見ぬ友人、そういう思いで執筆をしています。

――時を超えて洋の東西もまたいで、様々なことを伝えてくれるのが書物ですよね。


岡本浩一氏: ぼくたち学者も、先人のものを読んで研究します。お茶の世界でもそうです。何百年も前に書かれたものを読んで、アッと思うことがあります。例えば井伊直弼。人の殺し方が残酷だったので、あまり好きではないのですが、茶人としては、『茶湯一会集』など、良い本を残していて、読んでみると井伊直弼に対する考え方がちょっと変わりますよ。ぼくらは亡くなった人の本を読んでも影響を受けるんです。そういうものを残していきたいですね。

その大切な書物が、幾らかおかしなことになっていると感じています。アメリカの本で、ゴードン・ウィリアム・プランゲが書いた『At Dawn We Slept』という、真珠湾攻撃について書かれた本があります。著者はパールハーバーの作戦を必ず解明すると決めて、日本語を学び、マッカーサーに、軍で雇用してほしいと手紙を書き、そこで日本軍の将校たちへインタビューをしました。3000ページにもなるインタビューのノートがあったのですが、プランゲは本になる前に亡くなってしまい、弟子3人がその後を引き継いで、それをまとめ、ちゃんと資料も付けて出版したのです。日本でも2回、翻訳が出ていますが、上下2巻になっていて、合わせて2万円ほどします。そんな高価なものは、なかなか一般に読まれないから、その本は絶版になってしまいます。日本人にとって貴重な資料であり、必読の書なのに商業ベースに乗らないと読めない、それは間違っていると思うのです。


昔、虐げられた人たちは、本を読んで自分たちの知性を強化することによって、平等などを獲得してきました。本が読めなかったり本がなかったりということは、自分たちの市民権が剥奪されているのと同じなのです。知る権利や成長する権利というものが剥奪されているという危機感を感じた方がいい。文字から遠いということが、私たちに及ぼしている危機に対して、あまりに無頓着ではないかと思います。ですから編集者には「売れる本も書くから、売れない本も書かせてほしい」とお願いしています。

妥協のない戦いで 本が生まれる


――編集者とは、どんな関係ですか。


岡本浩一氏: 本の種類によって違うのですが、書いている時は戦いです。ぼくは自分で一つ決めていることがあって、編集者と普段は仲良くするのですが、いざ執筆が始まると原稿を渡すまでは、途中で酒を飲まないようにしています。編集者が著者の言い分を通していたら良い本になりません。昔、ある本を出したとき「編集者があなたにほれすぎた」と編集者の上司に言われたことがあります。お酒を飲んでいると、こっちは本のスタンスを妥協させようと編集者の顔色を見たりしますし、編集者も著者に交渉しようというような気分があるものだから、本が甘くなるのです。ぼくが今まで作った中でも良い本だなと思うものは、原稿以外では岡本浩一という人柄を編集者に対して見せなかった本です。一度、きちんと原稿を出して、そこに編集者が赤を入れたり鉛筆を入れたりする、そこで初めて明瞭に議論し、戦うわけです。

――期限などについては。


岡本浩一氏: ある時から、期限は遅れないようにしました。20年ぐらい前に決心したんです。当時、どんどん執筆依頼が舞い込んで、雪だるま式に書かなければいけない原稿がたまってしまいました。それは、書く日数を数えないで仕事を受けてしまったからで、それを整理するために、一つ書き上げるのにいくら時間がかかるのか、全部計算し直しました。そこから、締め切りを聞いたら、その時に執筆時間を全部手帳に書き込むようにしました。執筆予定のスケジュールは大事な予定で「読者との約束だから、もう変更しない」という風に決めました。自分は1年間にどれ位のものが書けるのかなどがはっきりしましたし、今ではギターの練習など全部入れて大体、どれぐらいで書けるというのも自分でちゃんと分かっています。

社会の雰囲気が、未来を決定する


――このほど『日本人のYesはなぜNoか』が電子書籍で復刊され、好評です。


岡本浩一氏: 電子書籍はユーザーとしても既に利用していましたが、自分の絶版の本が復刊され、さらに多くの方から反響を頂いている事に可能性を感じています。ぼくは、紙の本も電子書籍も利用していて、紙で買って、大事なものはKindle paperwhiteにも入れて使い分けています。お茶を、地方に教えに行くために、自分で書いた点前を電子化しています。それから取り寄せると時間がかかる洋書も入れています。また古今和歌集なども。自分の心の問題で、旅行先でふと読みたくなるのです。ですが、実際に旅行に出てみないと、何を読みたくなるか分からないので、小さいのに何十冊も入れられ、その場で買う事も出来る電子書籍は本当に便利です。整理が苦手で、年中本を探しているぼくには、重宝しています。電子だと検索ができますから。

――先生の原動力は、どこから涌いてくるんでしょうか。


岡本浩一氏: 自分にとって、面白さが一段落するまではやります。例えば、ギターでどうしても出せない音があれば、その音を出すためにやり込みます。そうして求めていた音が出れば、それでもういいという感じ。私の家には調理器具がたくさんあるのですが、ほとんど使いません。娘たちからは「1回しか使っていないけど、いいの?」と聞かれます。その時は「普通の人はおいしい料理を作るために道具を買うのかもしれないけれど、パパは道具を試すためにおいしい料理を作っているんだよ。ここの道具の機能はもう分かったから別にいいんだよ。」と言い訳(!?)をしていますね(笑)。

――今はどちらに興味が向かわれているのでしょう。


岡本浩一氏: 社会の合意と、それに社会心理学がどのように貢献できるかですね。今、文科系の学問が全体的に軽んじられています。予算上もそうですが、例えば社会心理学について、ハンダ付けより簡単な学問だと思っている人がいます(笑)。日本の社会心理学のレベルが今一つ低いのは、社会がそんなものでいいと思っているからです。例えば血液型で性格を知るなど、あり得ないですよね。あんなものがあり得るという雰囲気が日本の社会にあるから、きちんとした社会心理学をしようと思わなくなってしまうわけです。

科学を応用するという意思決定をきちんとしないと、大きな危険が及びます。ベストを尽くしても、例えば想定しない地震が起こったりします。そうするとそれはみんなの社会で選んでいた結果だから仕方がないと、どこかで合意しないと前へ進めません。そこで社会心理学は大きな役割を果たすのです。例えば水素自動車が走った場合、それにはリスクも伴います。そのリスクを考えた時に、社会的には大丈夫だということを、社会全体が合意しないといけないですよね。リスクを理解するために、相互にコミュニケーションを持つ事が大事なのです。そのコミュニケーション、社会的合意に至るプロセスを、また本で伝えていこうと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岡本浩一

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