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波頭亮

Profile

1957年、愛媛県生まれ。 東京大学経済学部(マクロ経済理論及び経営戦略論専攻)を卒業後、マッキンゼー&カンパニー入社。 1988年独立、経営コンサルティング会社(株)XEEDを設立。 幅広い分野における戦略系コンサルティングの第一人者として活躍を続ける一方、経営戦略論や論理的思考に関するテキストの著者としても注目されている。 著書に『経営戦略論入門: 経営学の誕生から新・日本型経営まで』(PHPビジネス新書)、『成熟日本への進路―「成長論」から「分配論」へ』(ちくま新書)、『思考・論理・分析』(産能大出版部)など。

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正義と豊かな社会を提起する



東京大学経済学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に初の新卒新入社員として入社。国家政策づくり、金融、消費財メーカー、産業財メーカーなど、幅広い業界のコンサルティングを手掛けるも、「最終意思決定者としてやらないと、自分のプロフェッショナリズムが完結しない」という想いから独立し、自らが舵を切る経営コンサルティング会社、株式会社XEEDを設立する。戦略系コンサルティングの第一人者として幅広くビジョンを提起し続ける波頭さんに、コンサルタントとしての仕事への想い、今の日本に向けたメッセージを語っていただきました。

プロフェッショナルとしての決断。そして独立へ


――XEED(エクシード)について伺います。


波頭亮氏: 会社を作ったのは88年で、実際の稼働は89年。僕が30の時です。僕の独立の動機は2つでした。当時マッキンゼーに入ってまだ5、6年くらいで、プロジェクトの最終責任者になるステージではありませんでした。

コンサルティングの仕事においては、あるクライアントさんの製品がなかなか売れないことに対して、「これは製品があまり良くないからだ」という見立てをする人がいたら、「もっといい製品を作り込みましょう」という処方箋を書きます。十分良くできていると思えば、どういうお店でどういう売り方をすればいいかとか、もっと有効な広告を打てばもっと売れるはずだと考えます。そのように処方箋の見立てが違った場合は、チームの中で徹底的な議論をします。

コンサルティングの仕事は、自分が最終意思決定者としてやらないと、自分のプロフェッショナリズムが完結しないという思いがあって、自分で責任を持ってやりたいというのが最初の動機でした。

また僕は、マッキンゼーが日本で正式な新卒採用をするようになって、最初の1人だったので、重大なビッグプロジェクトに全部アサインされて、すごくいい経験ができました。そこで思ったのは、こんなにすごい仕事ができるというのは「マッキンゼー」という看板があってこそだということ。社会的認知という点でも、周りのサポートという点でもそう。「自分でやって食えるのかな」ということに興味がわいてきました。「独立したらどうなるんだろう」というのが二つめの動機でした。

――個人として一歩を踏み出した時は、どのようなお気持ちだったのでしょうか。


波頭亮氏: うまくいくかどうかの見通しは不確定でしたが、もしなんとかなるのが分かっていたら、あまり興味は湧かなかったかもしれません。どうなるか分からないからこそ面白いものなのです。探検みたいなものですね。89年というバブルの時代だったので、世の中の風潮も良くて、景気も良かった。もともと僕には、偉くなりたいとか、お金を儲けたいという動機はないのです。マッキンゼーのOBの中で、同年代では僕は貧乏な方だと思いますよ(笑)。

権力やお金に対する欲がないので、強がりでも奇麗事でもなく、社会的地位や財産のことはほとんど気になりません。比べたら申し訳ない気もしますが、ビル・ゲイツが美食に興味ないというのは有名で、お昼にはずっとビッグマックを食べているという話はよく理解できます。もちろん僕だって超貧乏なのは嫌ですが(笑)、「考えるだけのお金があったらそれでいいや」という感じです。職人や学者さんのメンタリティーに近いかもしれません。若い時は知的興味が僕のエネルギーになっていたと思いますが、年を重ねてからは、「人のためになりたい」「世のためになりたい」という気持ちが強くなったように感じます。

分からないものを、知りたい


――どのようにして知的興味を満たしてきたのでしょうか。


波頭亮氏: 僕は子どもの時に病気で数年間寝たきりだったことがあり、本を読むことしかできなかったため、4、5歳ぐらいから本を読んでいました。あれは10歳の誕生日のプレゼントだったと思うのですが、本屋で好きな本を好きなだけツケで買っていいという権利をくれたのです。もう買い放題。小学校2、3年生ぐらいには岩波新書を読んでいました。だから結構早熟だったと思います。

小学校の4年生ぐらいには夏目漱石や、森鴎外ではもの足りなくなり、坂口安吾などを読んでいました。小学校の5、6年生の時には実存主義というのにかぶれてフランス系哲学者の比較評論(のようなもの)を書いたりしてました。高校の時は『りぼん』を読んでいましたよ。『別冊マーガレット』にするか『りぼん』にするか、両方読むかと悩みましたが、最終的に『りぼん』にしました。世の中にある新しいもの全部が面白かった。男の読み物とか、女の読み物とかそういったことは関係なかったし、陸奥A子なども大好きでした。

マルクスは、人間の感情によって定型的にはとらえられないような行動を一般化して、しかも資本との相関で世の中を説明し尽くしたという感じで、心を打たれました。フロイトの人間の認識と通底していて感動したりしてました。あと、ニュートン力学にもショックを受けた。まだ真空実験などの実験ができない時に、理論でああいう力学を見つけたのはすごいなと思うと同時に、自分はそういう天才ではないということも分かったのです。だから、そういうことと比べたら偉くなるとかならないというのは、どうでもいいなと思うようになりました。自分が分からないものを、知りたいという思いがやっぱり強かったんだと思います。

――その後、一度銀行に入られます。


波頭亮氏: 銀行も、やはり知的興味で行きました。金融商品の開発かコーポレートファイナンスのスキームを高度化したいということで、銀行に進みました。結局、その約束は守られることはありませんでした。要するにあの『半沢直樹』の世界だったのです。それで辞めることにしました。

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