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世界中の本好きのために

後田亨

Profile

1959年長崎県生まれ。長崎大学経済学部卒。 95年アパレルメーカーから、日本生命へ転職。営業職として在籍した後、2005年より複数の保険会社の保険を扱う(株)メディカル保険サービスへ。2012年より「保険相談室」代表として、執筆・講演・セミナー講師と保険相談を主な業務内容として、売手の都合から離れた情報発信を継続中。 著書『生命保険の「罠」』(講談社)はベストセラーとなった。近著に『保険外交員も実は知らない生保の話』『保険会社が知られたくない生保の話』(日本経済新聞出版社)、『生命保険の嘘: 「安心料」はまやかしだ』(共著。小学館)など。

Book Information

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自分だけが気付き、理解したつもりになった瞬間が一番楽しい



社団法人バトン「保険相談室」の代表理事である後田さん。長崎大学経済学部を卒業後はアパレルメーカーのグンゼへ就職するも、日本生命へ転職し、営業をされていました。現在は個人向けの有料保険相談をはじめ、執筆活動や講演会などで、ご活躍されています。著書には『生命保険のウラ側』『がん保険を疑え!』や『生命保険の嘘 安心料はまやかしだ』などがあり、『生命保険の「罠」』はベストセラーに。今回は、後田さんに、幼い頃に夢中になったこと、執筆に込められた強い思いや伝えたいことなどについて伺いました。

プロレス好きだったことから、活字を読むように


――本との関わりについて伺います。


後田亨氏: 小学校の頃、忘れもしない川村書店という本屋さんが浦上天主堂の近くにあったんです。小学生の時分には遠いお店で、歩いたら10数分ぐらいでは着かなかったと思うのですが、そこで月に1回、ツケで本を買うことができました。親は県庁の職員だったので、県営アパートでしたし、外食は年に2回ほど、旅行などは家族でしたことがないという、つましい暮らしだったのですが、親がお店の人に言ってくれて、好きなのを1冊だけ買ってもよいことになっていたのです。

――どのような本を買われていたのですか?


後田亨氏: プロレスファンだったので『月刊ゴング』などを買っては、親から怒られていました。書店は、学校の図書館とは品揃えが違いますから。あと、父がプロレスや野球が好きで、特にプロレスは絶対一緒に見るという家庭だったので、プロレスをよく知るために、小学校4年生くらいから『九州スポーツ』を買うようになりました。活字との付き合いが始まったのはそれからです。スポーツ紙ですから、当然ヌード写真も官能小説も載っていて、意味は分からいながらもドキドキしながら読んでいたのを覚えています(笑)。それでも、親から怒られて破られたりするようなことはありませんでしたね。

――『九スポ』から色々と学んでいたのですね。


後田亨氏: そうですね。言語感覚にしてもスポーツ新聞の影響が大きいかもしれません。例えば、保険相談室の有料保険相談のホームページの、「無料で行われているのは相談じゃなくて商談です」といった言葉の選び方など、スポーツ新聞から学んだのかなと思います。

夢は、記者からバンド結成へ


――『週刊ゴング』やスポーツ新聞を読む他には……。


後田亨氏: 周りと比べて体も小さくて、あまり丈夫ではなかったので、基本的に、家で1人で遊ぶのが好きでした。ただ、ソフトボールは大好きでした。長崎ではテレビでやっている試合がいつもジャイアンツだったこともあり、ジャイアンツのファンでした。でも、父が九州の球団ということで贔屓にしていた西鉄ライオンズ黄金時代を知っているので、帽子はNLマークだったっていう(笑)。

――やはり将来はスポーツに関連するお仕事を。


後田亨氏: 九州スポーツやゴングの熱心な読者でしたから、プロレスの記者になりたかったですね。小学校時代は、野球も見てはいましたが、プロレスがメインでした。

でも、中学校からは音楽雑誌にはまるんです。小学校の頃にエレキギターが出てきて、グループサウンズの時代になって、2年くらいで下火になったんですけど、同級生がラジオで聴いていた洋楽、当時はポピュラーと呼ばれていましたが(笑)、それが気に入って、レコードも欲しいなと思うようになりました。

行きつけの川村書店に行くと『ミュージック・ライフ』という雑誌があって、ラジオのヒットチャートなども聴くようになりました。レコードは高くて買えないから、グラビアと活字で余計に想像が膨らむんですよね。あと、「試験でクラスで一番になったらLP1枚買っていい」という契約を親と交わしていましたから(笑)、それにつられて頑張ったような感じです。洋楽は、歌詞の意味は全然分かりませんでしたが、音として好きだったんです。社会人になるまでは、聴くばかりでしたけどね。

――両親と契約を交わしたということでしたが、レコードは買えたのですか?


後田亨氏: ま、数えるくらいは(笑)。話が前後しますけど、契約を交わす前におじから、「これで何か買え」と、1000円、お小遣いをもらったことも大きな出来事でした。シングル盤が400円の時代だったので、2枚買えると思い、思案橋のアトムレコードというところに行ったら、ローリング・ストーンズの1000円のLPがあったんです。クイズ番組か何かで、「ビートルズなき後、世界のナンバーワンバンドと呼ばれているグループは何でしょう」という質問に、誰かが「ローリング・ストーンズ」と答えたのがインプットされていて、買うんだったらこれだと8曲入りのベスト盤を買ったんですが、聴いてみると全然分からなかった。でも、「いいレコードのはずなんだ」と言い聞かせて何ヶ月も聴いていたら、次第に快感になってきたんです。今だと言葉にできるのですが、リフレインの快感とか、ブルースがべ-スになっている曲にある独特の色気やグルーヴが分かった気になりました。それまで聴いてきた音楽とは違う高揚する感じがあって、中毒みたくなりましたね。自分で見つけた気になっているから余計、気持ちがいいんです。ストーンズは、“自分だけ良さが分かる”というような独りよがりのツボを押してくれたんですね(笑)。ストーンズ、70年代の初め頃の日本では全然売れてなかったですから。それで、バンド結成などが夢になりました。

大学時代は雑誌を熟読


――音楽漬けの日々だったのでしょうか。


後田亨氏: 中学の頃は、並行してボクシングマガジンにはまるんです。プロレス並みにボクシングもずっと見ていたんですよ。うちの家は少し変わっていて、小学校の低学年の頃「東洋チャンピオンスカウト」という番組が、夜9時半くらいからあったのですが、僕は父と一緒にそれを見るために、夕方に仮眠をさせられていましたから。今でも「ああいう教育じゃなかったら、東大に行っていたんじゃないか」と親に言って笑われますけどね(笑)。

――素晴らしい英才教育だと思います(笑)。


後田亨氏: “勉強が本分”ということは親にも言われてましたけど、塾にも行かなかったですし。学校で時間割通りに過ごした後に、また時間割があるというのが、考えられなかったんです。それは後々、会社員を辞めた自分と繋がっているように思いますね。それと、団体行動も少し苦手でしたから。

――大学ではどのように過ごされていましたか。


後田亨氏: モハメッド・アリの時代が終わったこともあり、私のボクシングブームはそこで一旦落ち着きました、その後は急に色気づいてきて『MEN’S CLUB』や『POPEYE』を熟読するようになりましたね(笑)。ただ、一貫して読み続けていたのは『ロッキング・オン』や『ミュージック・マガジン』でした。

――本ではなく、雑誌をよく読まれていたのですね。


後田亨氏: 雑誌から派生した本を読んでいる感じですよね。ボクシングマガジンにかぶれた時は、佐瀬稔さんの原稿が好きで『感情的ボクシング論』などは、結構読みましたね。『流れ星ひとつ』という近刊が素晴らしかった沢木耕太郎さんもボクシングがきっかけですし。雑誌が本への水先案内人でした。

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