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桜井博志

Profile

山口県岩国市にある旭酒蔵の3代目社長。ここ数十年で日本酒市場が縮小する中、小規模な仕込みでないと造れない、また少量でも愛され続ける純米大吟醸酒に商品をしぼり、『獺祭(だっさい)』を開発。2012年には純米大吟醸市場でトップメーカーに、現在では20か国以上に進出。2014年夏には、パリのシャンゼリゼ通りに直営の小売店併設レストラン&バーを出店する。 著書に『逆境経営―山奥の地酒「獺祭」を世界に届ける逆転発想法』(ダイヤモンド社)。

Book Information

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一刻も早く瓶詰めをしなくてはいけないという事態に。気がつけば社長になっていた。


――旭酒造に戻られてから、石材卸業をおこされたのは?


桜井博志氏: 戻ってきたものの、父とは馬が合いませんでした。大きな理由の1つは企業の業績です。その頃から酒の業界は、前のようにただ真面目に努力さえしていたら伸びるという状況ではなくなってきていました。第一次オイルショックが終わった後ですから、1974年から厳しさが増してきて、知恵、資金、それから立地に恵まれないところは負け組になっていきました。本当の力が試される状況なので、総合力で優劣区別がつく。ここは立地の面で言うと、それほど良い立地ではないし、他のものもそれほど飛びぬけて優れてはいない。そうやって少しずつ右肩下がりになった訳です。それからもう1つ。父としては単純に「息子が帰ってきたら大活躍してくれて、酒がもっと売れるようになるだろう」と思っていたのが、全然上手くいかなかった訳です。酒の業界はすでに、そういう状況ではなかったのです。だからお互いになんとなく上手くいかなくなり、細かなところで衝突をするようになりました。だから、決してそれぞれの方針などが合わなかったということではありませんでした。最後は感情的な亀裂となり、「もうお前は出社してくるな」と言われ、「もう明日から出社しません」という話になりました。面白可笑しく言うなら、「お金が回っている間は夫婦仲は良いけれど、お金がなくなれば夫婦仲が悪くなる」という例えに近い状態だったように思います(笑)。

――就職先を探されるという選択肢はなかったのでしょうか?


桜井博志氏: その選択肢は私の中にはありませんでした。自分で何かやろうと思って色々なところで話していたら、石材の採掘業を女房の親戚がやっていて、「あの石はよく売れているみたいだ。うちも売ろうかな」といった感じでしたね。

――始めた事業は、年商2億にまでなったそうですね。


桜井博志氏: 恐らくその時期が、石材業にとっては「まじめに努力すれば売り上げがどんどん伸びていく時代」だったのだと思います。結果論で言うとそう思いますが、その当時は時代分析などはしていませんでした。「なんとか私もできそうかな」とか、「売れるかもしれない」という感覚でやっていたので、そういう意味での原始的マーケティングはしていたかもしれませんね。そうやって一生懸命仕事をしていたら、父が急逝してしまいました。ところがその時、瓶詰場のタンクに出荷待ちの酒がありました。瓶詰前のお酒は、アルコール度数も市販規格に調整していますが、そのままでは品質の劣化が進んでしまうので、なるべく瓶詰めが早い方が良いのです。そういった一刻の猶予も無いという状況で、通夜、葬儀の時に「どうしましょうか」という話になるものの、誰もそれを決断しない訳です。自分の葬式で4000リッター位のお酒がだめになってしまうことを、父は良いとは思わないだろうと思い、「瓶詰めをしよう」と私が指示をした時点で、私が社長になることが決まったのだと思います。

本当に世の中に必要とされているものなのか


――日本酒のほかビールなど色々なものに挑戦され、製販一体体制への変更や、人員を広報用に配置されるなど、色々と工夫をされていたそうですね。


桜井博志氏: 父の死後、酒蔵を継いだ最初の5、6年は、基本路線の踏襲という感じで一生懸命頑張りました。そうすると結果として、それまでよりは頑張る訳ですから、数字は前年比85%だった酒蔵も101%、102%などに戻る訳です。でもそれを戻すために、ものすごく努力しているから、例えば経費や販促費、設備の投資などにもお金を使いますし、会社のバランスで言えば、どんどん悪くなって、利益は下がってくる訳です。そこまでやっても国の経済成長率が107%ぐらいで、それと比べるとやってもやっても泥沼に沈んでいくような感じもあり、打つ手もなく、負け続けていく自分を見ているような気がして怖かったですね。

――『逆境経営』にも、その頃の心境がつづられていましたが、それでもがんばり続けられたのは、なぜだったのでしょうか?


桜井博志氏: 父は、上手くいかない会社を自然死させる方向性を選んでいたようにも思えて、それに対する反発もあったように思います。だから酒蔵をなんとか上向きにさせて、親に対抗しようという思いがあったのかもしれませんね。酒蔵として縮んでいくままで、一生が終わっていくというのが私には許せなかったのだと思います。でも、パフォーマンスという点においても、酒蔵はあまり良くない状況でした。200本~240本位の酒を積んでトラックで販売していたのですが、1日に100本売るのが精一杯で、下手したら0という日もありました。それで「私たちが売っている酒は、本当に世の中に必要とされているものなのか」と改めて考えるようになりました。原点に立ち返り試行錯誤していく中で、純米大吟醸に出会ったのです。最初は上手くいかなかったこともありましたが、なんとか作れるようになり、少しずつではありましたがお酒に関しても売り上げが伸び始めました。でも、最初から「純米大吟醸の道だ」、と決めていたわけではなくて、試行錯誤の末に今の路線に辿りついたのです。退路を断った決断をするというよりは、ちょっと足を踏み出してみる、ということも大切なのかなと私は思います。結果として、会社全体としても2003、4年くらいには、「純米大吟醸1本でいこう」ということになりました。

――仕事をする上で、大事だと思われていることはありますか?


桜井博志氏: 少年野球では4番で投手、灘中から東大の法学部に入ってエリートコースを歩む、というのは、皆ができるわけではありません。だから、“優秀ではない自分”を受け入れるのです。足が遅い人は、早く走れるために少しでも早く走れるスニーカーがあればそれを買えばいい。うちの新入社員によくする話があるのですが、会社と学校の大きな違いは、「カンニングしてもいい」ということ。どうしても勝とうと思ったら、前の日に人より先に進んでおいて、そこからスタートすればいいのです。仕事では朝まで同じスタートラインで待っている必要はありません。しかも敗者復活戦有り。だからトーナメントではなく、リーグ戦で勝てばいい。51勝つか、1勝99敗でもその99敗を決定的な負けをしなかったら大丈夫なのです。もう1つ、社会は学校と違うかもしれないと思う点があります。例えばサッカーだったら、ルールぎりぎりまでいかないと勝てませんよね。でも、ルールで完全に違反とされていないから、ここまではやっても大丈夫かもしれないという部分でも、「旭酒造にいる間は、ルール上はここまで許されるとしても正しくない事はだめだ」と言っています。

桜井博志氏

――酒蔵の見学は、ライバル社からの申し出でも引き受けるとお聞きしました。


桜井博志氏: ええ、大手さんの酒蔵の技術関係者の方などにも、オープンにしています。一度見に来られたくらいで抜かれるようでは、その技術にはもう価値がないのだと思います。また、見せることによって技術的に弱いところが見えてきます。ですから、見学の条件として大手会社には、気づいた弱点を指摘してもらうようにしています。例えば日産の自動車開発部などといった他の業界における大手会社がいらっしゃった際には、「うちの蔵を歩いて回ってみて、気になった点、ここが弱点だなと思うところを書いてほしい」と伝えています。見学を許可するかわりに、欠点を見つけてもらう。それがすごく勉強になります。そうやって「自分たちの会社を磨く良い機会だ」と、見学を受け始めたのは、この1、2年位でしょうか。あと、やっぱり怖かったのは、“出る杭は打たれる”ということ。そのためにも、あえてオープンにしようとしたのです。オープンにしていると、打たれるにしても打たれようが変わってきますよね。それから、うちの蔵を見に来た人は、ほとんどが味方になってくださるので、ありがたいですね。

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