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飛岡健

Profile

1944年、東京都生まれ。防衛大学校航空工学専攻卒業。東京大学大学院工学系研究科博士課程(航空工学)修了。東京大学航空宇宙研究所にてロケット・人工衛星の打ち上げ、研究に従事した後、哲学、社会学、経済学、心理学、生物学を進め、88年に現代人間科学研究所を設立。(現在「人間と科学の研究所」)技術、マーケット等の未来予測及び多くの企業の経営戦略の作成を専門とし、政府や地方自治体及び民間企業からの委託研究を行う。 著書は115冊を超え、『3の思考法』(ごま書房)、『“逆”思考の頭をもちなさい』(河出書房新社)、『ものの見方、考え方、表し方』(実務教育出版) 『哲学者たちは何を知りたかったの ?』(河出書房新社)など。

Book Information

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人間が考えたあらゆるものごとを、全部知りたい



東京大学大学院工学系研究科博士課程を修了。株式会社現代人間科学研究所と株式会社未来と経営の研究所を設立、株式会社人間と科学の研究所の代表取締役でもあります。著作は150冊を超え、講演や未来予測研究会「WSF」主宰など、多方面でご活躍されています。著作には、『哲学者たちは何を知りたかったの ? 凡人でもわかる、哲学のやさしい悩み方』『飛行機はなぜ飛ぶのか? 知ってるようで知らない空の話』などがあります。飛岡さんに、科学と哲学、定義の重要性、執筆や電子化についてお聞きしました。

人間の幸せ、宇宙の起源。奥深くまで入りこむ


――幼少時代から現在の仕事に興味があったのでしょうか?


飛岡健氏: 小さい頃、私には夢が3つありました。1つは音楽の指揮者や作曲者。もう1つはプロ野球選手。そして3つ目は、父の跡をついで飛行機を作ることでした。私の父は、中島飛行機というところで、私の恩師にもあたる糸川英夫氏の設計した「はやぶさ」や、「鍾馗」などの戦闘機を作っていたのです。そういった、それぞれ全く違う分野の道を頭に描いていました。中学の3年間、作曲法を勉強し、数十曲作ったのですが、たいした曲ができず、「自分には音楽的才能がない」と悟りました。野球の夢については、中学の頃に入っていた野球部の監督から「お前は野球よりも勉強をしろ」と言われ、強制的に野球をストップさせられてしまいました(笑)。そういう中で、最終的には航空工学や宇宙工学をやることになったのです。

――飛行機を作る夢に向かって踏み出したわけですね。


飛岡健氏: そうでした。でも最終的には、「航空工学などの科学技術が人間のためにどういう風に役に立つのだろうか」という疑問を持ってしまいました。日本の社会には、専門的なことをやる人はいくらでもいるけれど、本当にこの科学技術が人間のために役に立つかどうかということを調べる専門家はいないだろう、と思ったのです。それならば、私がその分野をやろうということで、昔の社会学、つまり政治学・経済学と、今の狭い意味での社会学を含んだものを勉強しました。
実は飛行機を研究しようという時に、零戦を設計した堀越二郎さんの最後の1年間の講義を受けたのです。その講義で堀越さんは、「我々はアメリカの技術者に負けたのではなく、心理学者に負けたんだ」とおっしゃっていました。「零戦のパイロットはドッグファイティングをやっている時に、急旋回をして急降下するけど、その時に日本人のパイロットは皆、右側にしかダイブしないということをアメリカの心理学者に見抜かれていた」と。その後に、今度は父が一緒に仕事をした糸川さんと一緒にロケットをすることになりました。当時ロケットについては、月にホテルを建てるとか、原子力ロケットを使って生態系を作っていこうといった、色々な計画が考えられていました。住民運動があるから、ロケットを打ち上げるためにはそれにもケリをつけなくてはいけないし、ロケットに人を乗せるためには宇宙医学も必要。それからもともと飛行機というのは構造体なので、建築力学をやらなければいけませんし、そのベースとして材料力学や構造力学も必要なのです。それから後ろから燃料が噴射するので、流体力学から燃焼工学といったように全部勉強しなくてはいけないのです。飛行機とロケットを研究したという経験が、私の意識を広げたわけです。

――それが多岐にわたってご活躍されている理由なのですね。


飛岡健氏: 確かにそうかもしれません。しかし、もう少し別の視点から私の学びの世界は広がりました。それは次の如くです。科学というのはご存知のようにどんどん分析の為に細分化されていくので、どんどん奥に入っていき、それぞれの専門科学が生まれます。それに対して各専門を全体として統合するのが本来の哲学です。その哲学をキチッとやろうと思うと、各論をある程度知らない限りは、全体を統合することはできません。そういうことで、色々な分野を勉強することになりました(笑)。最終的には、人間の幸せというのを考えた時に、哲学と科学を一緒にして考えなければいけないといった境地に至りました。
宇宙や世界についても深く追究しましたね。宇宙の「宇」は時間の流れ、「宙」は空間の広がりを意味していて、この言葉自体が四次元時空です。同じように「世」も時の流れで、「界」は空間の広がりで、これも四次元時空なんです。そうすると、宇宙というのは、空間的なものとしてとらえるとスペース。秩序ある世界ということで、コスモス。もう1つ四次元時空としてはユニバースという言葉があります。世界や宇宙は、ユニバースをさしているわけですよね。そうすると、宇宙全体の起源から、そもそも人間がどうして考える力を持ったのか、といったところまで入り込んでしったのです。

飛岡健氏

――それほど深くまで入り込んでしまうのには、何か理由があるのでしょうか?


飛岡健氏: 私は人類が考え出した考えを全部知ってから死にたいなと思っているんです(笑)。『哲学者たちは何を知りたかったの?』などという本を書いたのもそれが理由です。この話をする上で興味深い、自殺をした二人の若者がいましたが、自殺した理由が対極的なのです。1人は藤村操という人で、この人は「人生不可解なり」と言って華厳の滝へ飛び込んで自殺しました。もう1人は、『二十歳のエチュード』という本を書いた原口統三です。彼は本当に真面目に一生懸命勉強をしたのですが、「人類の知的、気づきというのはこんなものか」と、逆にもうやることがないからということで死んだと言われています。私はどちらかというと、その間にあって、「人生不可解だからもっと欲張って死のうよ」、と(笑)。人間が考えたあらゆるものを全部知ったら、安らかに死ねるだろうなと私は思っているのです。

「人間自身」をよく知ることから始まる


――人間科学研究所では、どういった研究をされているのでしょうか?


飛岡健氏: 最終的には人間自身をよく知らなければ、何事も始まらないですよね。アリストテレスが人間は社会的動物と言いましたが、その社会も人間が作っています。「そもそも人間はなんなのか」といったことを追求していくと、最終的には生命体とは?その生命体を産み落とした自然なり宇宙とは?というところまでいってしまいます。でも、それを考えようとする場合は、科学と哲学の両方をある程度理解しないと肉迫できません。
私はよく宗教に入っている人たちと話をするのですが、「宗教は我々人類の中においてどういう位置づけなのですか?」と聞いても、「よく分からない」という人が多いようです。でも宗教に入っている方もある種の“専門家”ではあるわけです。その質問の答えを知るためには、歴史年表を見るのが一番良い。歴史年表には、最初に文明、その下に文化があり、その文化は芸術、宗教、思想あるいは哲学の3つにわかれている。ここに宗教が位置しているわけですが、「いったいこれはなんなのか」ということなのです。そういう一つひとつの言葉の概念整理というのが、とても重要なのです。建物を作る時に、欠けたレンガで作ると壊れてしまいます。同じように、思想体系を作ろうと思った時に、一つひとつきちんと定義された言葉の上に思想という建築物を造っていかないとひっくり返ってしまうのです。非常に重要なのは一つの話しのしっかりとした定義なのです。

――その定義と言うのは、どういったものなのでしょうか?


飛岡健氏: 例えば、現代においてこの国で、「悟性」と「知性」と「理性」の区別ができる人はほとんどいません。この3つがどう違うのかというと、まず「悟性」というのは、“ロゴス”です。実は聖書の最初には「ロゴスありき」と書いています。「ロゴスありき」というのは宗派によって、「言葉ありき」「光ありき」「真理ありき」などになるのですが、では悟性とは一体何かと言うと、哲学用語辞典では、「あるものとあるものとを分離識別する能力」と出ています。ロゴスというのは、「単語を作る能力」とも言えます。エデンの園の中において、アダムとイブが自然生態系の中の単なる1つの存在として共に生きていたところ、蛇に誘惑されて禁断の実、りんごを食べてしまうのです。これは実は悟性を持つ、言葉を持つということのシンボリックな表現ですね。その言葉を持つと同時に、自と他の分離が起こるでしょう。それが実論主義の哲学の1番大きいテーマである、「分離の不安」という、人間が言葉を操る限り本質的に持っている不安です。言葉ができてくると、過去・現在・未来という時間を分け、それと同時に生と死を分けます。そうすると、「自分」が「未来」に「死ぬ」ということが分かります。そうするとまた不安になる。それが原罪であり、それゆえにあらゆる筋になっていくのです。そういう風なことを起こしているのが悟性です。

――言葉による不安は、人類社会にどのような影響を及ぼすのでしょうか?


飛岡健氏: 「言葉による不安にどう対処していくか」ということが「文化」なのです。その前に文明と文化の違いと相補性について語りましょう。例えば悟性が自然の中にあるものを見て、オノ、石、つるという概念を生み出します。すると木があって石があってつるがあるとすると、その3つをくっつけると斧という新しい概念になりますよね。その概念を元に実際に斧を作ったのです。その斧を使って木を倒したら、たまたま川の上に倒れて橋になる。そういう風に、人間が言葉を持って、その言葉を組み合わせて、道具を生み出します。さらにその道具から機械になっていくのですが、それが「文明」です。言葉を持ったことで人間が持った不安にどう対処していくかというものが文化総体なのです。ですから本質的に、「文明」と「文化」というのは、相補的なものであって、そこが一番重要なポイントなのです。

――知性、理性の定義とは?


飛岡健氏: 「知性」というのは単語を組み合わせて文章化する能力です。ですから、「知性」だけを使ってくると、原子爆弾や化学兵器を作ったりということになってしまいます。そこで「理性」が必要なのです。和辻哲郎という人が、「倫理とは人間が作る社会における1つの調和したあり方だ」と、定義しています。どういう風に社会が調和していくか、それを考える能力が「理性」です。ですから「知性」に「理性」を加えたものが一番重要になってくるのです。

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