BOOKSCAN(ブックスキャン) 本・蔵書電子書籍化サービス - 大和印刷

世界中の本好きのために

村山涼一

Profile

1961年、東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。オリコミ(現オリコム)、講談社、NTTアド、東急エージェンシー、旺文社を経て、現職。競争戦略、コミュニケーション戦略が得意分野とし、企業のマーケティング業務をアウトソースで請け負い、プランニング、コンサルティング、組織構築、社員教育などを行っている。就職活動やマーケティングに関する講演も多数。 著書に『ささる。プレゼン』『ゆさぶる。企画書』『就活を採用者視点で科学する』(日本経済新聞出版社)、『100円の不良在庫を5000円の商品に変える方法』(中経出版)など。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「知りたい」と思う好奇心が執筆につながる



フリーのマーケティングプランナーとしてご活躍されている村山さん。中央大学法学部法律学科を卒業後、講談社や東急エージェンシーなど大手企業を経て独立しました。現在はマーケティングについてのプランニングや講演、研修はもちろんのこと、就職活動についての講演もおこなっています。著書に『「企画書」の書き方事典』、『AKB48がヒットした5つの秘密 ブレーク現象をマーケティング戦略から探る』、『ささる。プレゼン』などがあります。企業を通じて時代を俯瞰で捉える村山さんに、現在のお仕事、執筆への思い、本と電子書籍などについてお聞きしました。

ステレオタイプのクリエイティブ界を原点に戻す


――マーケティングのほか、様々なお仕事をされていますね。


村山涼一氏: そうですね。著作も増えてきて、20冊を超えました。もちろんマーケティングもやっていますが、ビジネスを一から作ることもあります。今一番真面目に取り組んでいるのがオープンソースなんです。大御所の皆さんと仲良くなることができて、この繋がりでビジネスをやっていこうと一生懸命取り組んでいます。企業に関して言えば、2社に入って長い研修をやっています。ほかにも、日本経済新聞社の就活に関する講演をしています。

――研修の対象者というのはどのような方なのでしょうか?

村山涼一氏

村山涼一氏: 最近は広告会社の社員を対象にした研修が多いです。オリンピックが決まって調子が悪かった広告会社に仕事が回ってきた時、みんなステレオタイプの仕事しかできなくなっていた、ときづいたんです。だからパーセプションの変え方を教えています。通常、広告代理店に入ると一番にパーセプション、つまり知覚による認識の変え方を習うのですが、今はみんなそれができない。
ちょっとこれは例がふさわしくないかもしれませんが、我々の仕事というのは、例えば薬物常習者の方がいらっしゃるとしますよね。その方を診断して薬を処方するのがお医者さんの仕事で、これは「行動する」仕事です。一方で、広告会社の仕事というのは、薬物中毒でいわゆる廃人のようになった人をビジュアルで見せることによって、「あ、こうはなりたくないから止めよう」と思わせること、つまり知覚から「行動を変える」ということなんです。これこそが広告会社の面白さですよね。

――ステレオタイプということは、単純に受注した仕事をこなすというようなお仕事になっているということでしょうか?


村山涼一氏: そうですね、クリエイターというよりかは、作業をこなす方が多くなっているようなので、「もう1回知覚を変えて行動を変えるという原点に戻りたい」ということを言っている方が多いです。いい人、真面目な人は多いのですが、面白い人があまりいなくなりました(笑)。どちらかと言うと暴れん坊といった人が僕らの時代には多かったんです。「知的な暴れん坊」と言うのでしょうか。それがステレオタイプになっちゃったというのが今のマーケティング界というか、クリエイティブ界なんでしょうね。

権威に対して何も考えずに従うのが嫌だった幼少期


――村山さんはどんな「悪ガキ」だったのでしょうか?(笑)


村山涼一氏: 神田神保町の出身なので、まさに江戸っ子です。周りには貧しい人と、あとは本屋しかなかった町で、大きい企業は岩波書店だけ。博報堂や小学館、集英社などは、まだできたばかりの頃でした。高校は赤坂の日比谷高校というところへ行ったのですが、小学校は錦華小学校、中学は一橋中学校と、地元の悪ガキが集う学校に通っていました(笑)。これは未だに記憶に残っている出来事なのですが、ある日、みんなでプラレールで遊んでいる時に、「ここからここまでは工事区間だから何人(なんびと)も入っちゃいけないよ」とガキ大将が言ったんです。みんなは言うことを聞いていたのですが、僕だけ汽車のおもちゃを持っていって「シュッポッポ」と入っていって、すごく怒られました。「涼ちゃん、入っちゃだめでしょ」と言われた時に、「これ、工事の機関車だよ」と僕は言ったんです。そういうガキでした。

――それは、おいくつぐらいの時だったのですか?


村山涼一氏: 幼稚園の時でした。その頃から権威に対して何にも考えないで従うのは嫌だなという思いがありました。ガキ大将とは仲が良かったけれど、言われる通りにやるのは嫌。だけど「おい、このやろう」と殴りかかるのも嫌だったので、「相手はなんて言ったらギャフンと言うかな」と考えるタイプのガキでした。でも、ただの殴り合いのようなけんかもしました。僕らの頃はそういう荒々しさがありました。

――野生と理性が共存するような気質が、その時からでき上がっていたんでしょうか。


村山涼一氏: 自分では気がつかなかったけれど、出自なのかもしれませんね。僕は野蛮なことが好きですが、野蛮なだけというのは嫌なのです。同様に、知性も好きなのですが、知性だけというのも嫌。生まれだと言われて、自分でも納得してしまいました。勉強も遊びも両方好きでしたね。

著書一覧『 村山涼一
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
ページトップに戻る
Code Profiler