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世界中の本好きのために

沖野修也

Profile

1967年京都府生まれ。実弟・沖野好洋との兄弟DJユニット「KYOTO JAZZ MASSIVE」をはじめ、10年以上に渡り日本のクロスオーバー/ジャズ・シーンを支え、海外進出も成功させて来た。2枚目となるソロ・アルバム『DESTINY』では、iTunesダンス・チャート1位、総合チャート3位を獲得。 現在、InterFM『JAZZain’t Jazz』にて番組ナビゲーターを担当中。有線放送内D-47チャンネルにて"沖野修也 presentsMusic in The Room"を監修している。WebマガジンOPENERS、SANKEI EXPRESSにて連載執筆中。
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Book Information

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偏見と先入観を取り除き、視界に入る人たちをハッピーにしたい



クリエイティヴ・ディレクターで、DJ、執筆家、世界唯一の選曲評論家である沖野さんは、開店以来20年で70万人の動員を誇る渋谷The Roomのプロデューサーでもあります。KYOTO JAZZ MASSIVE名義でリリースした「ECLIPSE」は、英国国営放送BBCラジオZUBBチャートで3週連続No.1の座を日本人として初めて獲得。これまでDJ・アーティストとして、世界35ヶ国140都市に招聘されただけでなく、CNNやBILLBOARDなどでも取り上げられた世界的な日本人音楽家の1人です。著書の『フィルター思考で解を導く』では、DJが書いたビジネス書として話題となり、Amazonのビジネス書のカテゴリーで1位を記録しました。2014年1月29日には『DESTINY replayed by ROOT SOUL』をリリースし、2011年発売のオリジナル『DESTINY』に続き、iTunesダンス・アルバム・チャート第一位を獲得。全国リリース・ツアーも予定されているという沖野さんに、どのようにして今の道に至ったのか、そして、お仕事への思いをお聞きしました。

壮大な目的を持つ、動物園のためのコンピレーション


――幅広く活躍されている沖野さんの、近況をお聞かせ下さい。


沖野修也氏: 今年でDJを始めて25年です。今、自伝の話もあるのですが、「上京するまでの話で1冊できる」と言われます(笑)。Kyoto Jazz Massiveというユニットのデビューから20周年なので、アルバムを作っていて、その一環でコンピレーションや作品集も出ます。僕がプロデュースするアーティストの作品も出ますし、それから少し変わったものとしては、動物園のためのコンピレーションというのもあります。

――動物園のためのコンピレーションというのは、どのようなものなのでしょうか?

沖野修也氏

沖野修也氏: ジャズの名曲の中には、動物の名前を冠したタイトルの曲が多くあります。ジャズには必ずメロディがあり、ソロがあってまたメロディで終わります。ソロはプロの人に任せますが、メロディの部分であるテーマ部分を子どもの合唱にするんです。これは、若い頃にクラブに来ていたパパ、ママに向けてのもので、幼児教育ということで子どもにジャズを聴かせるわけです。コルトレーンとかマイルス・デイビスなどを子どもは知らなくても、一緒に口ずさめます。実際に、70年代には著名なジャズミュージシャンが自分の子どもたちの声を曲に入れたりしていたこともあるんです。僕もそうなんですが、DJの中には、子どもが歌っているジャズを集めている人もいます。CDだけではなく、マグカップやTシャツやトートバックなどのグッズ展開もして、そしてビジネスとして成立させたいと思っていて、何よりもまずは、子どもにジャズを聴かせるという崇高な目的を成し遂げたい。日本のみならず、海外の動物園にも輸出していきたいというプロジェクトです。

――すいぶんと壮大なプロジェクトですね。


沖野修也氏: 「CDが売れない」と不平や不満を言っていても仕方がないので、これをトリガーにしたいと思っています。スペインで、Sonarというフェスティバルがあるのですが、そのSonarKidsという子ども向けのセクションでDJかバンドをやってもらえないかという声もかけていただいています。最初は「動物園のコンピレーション」というと皆、「えーっ?」と言うんですが、説明すると納得してくれるんです。まだ商標が取れておらず、国ごとに申請しないといけないので、まだ道のりは遠いですね。

中学時代にYMOと出会い衝撃を受ける


――音楽との出会いというのは、いつ頃だったのでしょうか?


沖野修也氏: 音楽の出会いは中学時代。それまでは、自分でレコードを買ったことはありませんでした。でもイエロー・マジック・オーケストラとの出会いがきっかけで音楽に目覚めました。それまで僕は歌=音楽だと思っていたので、歌が入ってなかったことに、衝撃を受けました。曲はキャッチーで口ずさめる感じで、また彼らの服装がかっこよく、僕もテクノカットにしてみたりしました。高橋幸宏さんは自分でブランドを持っていて、アートワークなどもすごくセンスが良かったです。それから夜のフジテレビでの中継で、YMOの音楽で外国人が踊っているのを見た時に、さらにびっくりしました。日本が敗戦国だったので、外国人に対するコンプレックスが強かったのか、子どもの頃から外国人がなんとなく恐かったんです。でも、外国人が、日本人であるYMOの音楽を心から楽しみ、喜びを表現しているのを見た時は、本当に衝撃を受けました。

――高校時代はどのように過ごされていましたか?


沖野修也氏: 高校1年生の時、100メートル走が11秒3だったので「陸上で国体に行ける」と言われていたんです。スポーツはすごく得意で、色々な人からスカウトされましたが、理不尽な上下関係が苦手で部活はやりませんでした。帰宅後は、ひたすら読書と、音楽。当時ラジオでは、佐野元春、桑田圭祐、山下達郎、渋谷陽一がNHKの「サウンドストリート」という番組を、日替わりでやっていました。たまたま僕が書いた葉書が佐野元春さんの番組で読まれて、もう学校では一躍スター。その時に僕は「あれ、僕は選ばれし者なのかな」と思い(笑)、漠然とですが音楽について語る人、つまり評論家かライターかなと将来について考え始めました。高校時代はサブカルのムーブメントが出てきて、雑誌『宝島』などを読んで、「音楽はロンドンが面白そうだ」と思い、高校の後半くらいになると、ロンドンのカルチャー雑誌『i-D』などを読み始めました。

好きなことをやらなければいけない


――大学はどのようにして決められたのですか?


沖野修也氏: 「外国の文化を理解するには英語が読めなあかんな」と感じていたので、大学は龍谷大学の英文科に入りました。もちろん海外の文学も好きだったので、「原書で読めたら良いな」という思いもありましたが、ロンドンのカルチャー雑誌を読むための文学を学びたいという思いが強かったかもしれません。ジャーナリズムというか音楽ライターを視野に入れるにあたっては、やっぱり海外の情報をちゃんと理解していないといけない、と感じていたんです。実際、『宝島』などで面白い記事を書いている人は、海外に行って取材などをしているんです。そうしているうちに、4回生の時に父が病気で亡くなって、ちょっと覚醒した部分があったんです。

――どういった気持ちの変化があったのでしょうか?


沖野修也氏: 父は小説家志望だったのですが、家庭のためにサラリーマンとして働いていました。仕事としては会社のために本当に真面目に頑張っていて、しかも労働組合をやっていたので、上司からは叩かれ下から突き上げられといた状況でした。その父が亡くなったのは50歳。それで「好きなことやらなまずいな」と思ったんです。決して父の生き方を否定している訳ではなくて、人生は一度きりだということを改めて実感したというか、いつ死ぬかなんてわからないんだとしたら、僕は会社勤めじゃなくて好きなことをしようと考え、1人旅に出たんです。もう4回生だったので、周りは就職活動一色。だけど僕は、一度そういうところから離れて自分と向き合う時間をとったんです。

――敢えて自分を孤独な状況においてみたのですね。


沖野修也氏: 父が亡くなった後、全ての責任を負わないといけなくなってしまって、一気に大人にならざるを得ませんでした。そして父がいないので、結局誰かが働かないといけない。僕は3回生までに単位を全部とっていて、4回生の時は週に1回しか学校に行かなくて良かったので、雑誌の広告営業から、酒屋、郵便局、家庭教師など色々な仕事をしました。広告営業では、飛び込みで全く知らない人、自分のことをかなり怪訝に扱う人と会わないといけなかったのですが、それが功を奏して、知らない人とも話せるようになりました。そういうこともあり、東京であったロンドンのDJのイベントに行った時、僕はいきなり外国人のDJに話し掛けたんです。当時はまだ踊れるジャズじゃなくて、レア・グルーヴという、70年代のソウルやファンクを再評価するムーブメントがあって、「そんなにレア・グルーヴのことが好きだったらロンドンに来いよ」と言われ、1か月後にはロンドンに行くことになりました。

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