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世界中の本好きのために

戸田山和久

Profile

1958年生まれ。 東京大学文学部哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。 科学哲学を専門とする哲学者。 主な著書に『論理学をつくる』(名古屋大学出版会)、『知識の哲学』(産業図書)、『「科学的思考」のレッスン』(NHK出版)など。 その他、近著に『新版 論文の教室―レポートから卒論まで』(NHK出版)、『心と社会を科学する』(共著。東京大学出版会)、『交響するコスモス』(共著。松籟社)。

Book Information

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両側から掘り、つながったところから科学が広がる



哲学者の戸田山和久さんは、人類の営為、認識を大きく変えた「科学」を哲学的に捉える科学哲学が専門。論理学などの入門書の著者としても人気です。最近、研究・考察の対象が変化しているという戸田山さんに、科学哲学を研究対象としたきっかけ、執筆スタイル、また科学技術がもたらした新たなメディアである電子書籍が読書や研究に与える影響などについてお伺いしました。

自分で立てた問いは、自分で考えるしかない


――早速ですが、戸田山さんのご専門について伺えますか?

戸田山和久氏

戸田山和久氏: 最近は、あまり科学哲学の既存の枠組みにこだわらないで、「科学の科学」ということを言っています。例えば生命現象には生物学、経済現象には経済学といったように、色々な現象に対して、それを扱う科学があります。科学というのは世界の中で途中からできたもので、自然界の中でそれなりのモデルを作るという意味で、ほかの知的活動とは少し違う、極めてユニークな活動だと思います。その活動を現象として捉えて、その現象を科学するということです。

――思索の対象がそういった方向にシフトしているのはなぜでしょうか?


戸田山和久氏: 人間は宇宙の一部ですので、人間が科学をやり始めたことは、言ってみれば宇宙が科学をやっていたということです。これは宇宙が自分を反省するようになったということで、宇宙の歴史の中でもユニークな大事件ですので、それをきちんと科学する科学が必要になってくると思っています。「科学の科学」は、おそらく100年後位には確立されているだろうと思いますので、今のうちに、種をまいておこうと思っています。今、社会学や科学計量学などで、少しずつそういうことをやり始めてる人たちがいますので、それらをどういう風に統合して、1つの大きな科学の科学にしたらいいのかということを考えています。哲学とは、自分が立てた問いを問い続けることであって、人が立てた問いを考えてもあまり面白くないんです。

小説で知った、ちょっと「いけない」世界


――戸田山さんの幼少期についてお伺いします。ご出身は東京ですね。


戸田山和久氏: 錦糸町の、下町に生まれました。『三丁目の夕日』のような感じのところです。父親が開業医ですが、地域社会の中でお医者さんは別扱いで、溶け込めない感じがありました。僕はぜんそく持ちだったり、あまり丈夫ではなかったので、こもりがちな子どもでした。小学校の半ばに、今度はすごく対照的な、千代田区の麹町に引っ越したんです。オフィス街のど真ん中で、日曜日になると人がいないところでした。麹町小学校に入り、大学に入るまでは麹町にいました。

――よく本を読まれましたか?


戸田山和久氏: 本は好きでした。よく読んでいたのは、子ども向けの中国の古典で、妖怪が出てきたり、怖い感じのものが好きでした。もっと前は、『いやいやえん』のような児童文学が大好きでした。これも、少し怖いところのある話で、しげる君というわがままな子が、言うことを聞かないので「いやいやえん」というところに入れられる。そこに来ている子どもは皆、わがままで、色々な意味で良い子じゃない。怖い園長先生がいて、遠足で暗い森の中に入って、鬼に会ったりするんです。なぜ好きだったのかっていうことは、うまく説明出来ませんが、教訓めいたものというよりは、子どもにとって、そういう怖さのある話が一番面白いのかもしれません。あと、僕自身がわがままでしたから、自分よりももっとわがままな子がいて、大人的な言い方をすると、自分のわがままが相対化されるところが面白かったんだと思います。

――麹町に引っ越されたということですが、神保町の古書街も近いですね。


戸田山和久氏: 歩いて行けるので、しょっちゅう行きました。初神保町は小学校に入ったばかりの時でした。僕はその頃、よく教科書をなくしていたのですが、当時都内で教科書を買えるのが三省堂だけだったので、教科書を買いに行きました。三省堂にはその後もよく行って、子ども向けの学習漫画などのコーナーを見ていました。古本に興味を持ったのは、小学校の終わりぐらいから中学生ぐらいだと思います。「お受験」のはしりで、小学校の5、6年生の時に塾に行っていたんです。その時に面白い先生に巡り合って、宮沢賢治や志賀直哉など、近代日本の小説の一部分を使ったオリジナルの教材を作っていたんです。それで、そのあたりの小説を読むのが好きになって、本は古本で安く手に入るということで、よく買いに行っていました。

――どのようなタイプの小説がお好きでしたか?


戸田山和久氏: 大正や昭和に書かれた文学作品は、大抵ダメな人について書いてあるんですが、そういう退廃的な感じの話が好きで、そういう小説は、大人の世界を垣間見る通路だったと思います。僕らの年だとテレビっ子ですから、子どもっぽいものはテレビで満足していたけれど、本を読む時は、もう少し大人用のもの、ちょっといけない感じのものが読めるといった感じでした。ただ、親に「今度これを買おうかな」と言ったら、「それはダメ」と言われたこともあります。

――どういった本を「ダメ」と言われたのでしょうか?


戸田山和久氏: 石川達三の『蒼氓』をまず読んだんです。ブラジル移民の話ですが、それが面白くて、じゃあ次は『四十八歳の抵抗』を読んでみたいと親に言ったら、「これは大人が読むものだからダメ」と言われました(笑)。

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