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世界中の本好きのために

清水克彦

Profile

1962年、愛媛県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、早稲田大学大学院公共経営研究科を首席で修了。文化放送入社後、政治・外信記者を経てアメリカ留学。帰国後、ニュースキャスター、番組プロデューサー、江戸川大学講師などを歴任。 現在は、文化放送でニュースデスクを務める傍ら、南海放送「木藤たかおの日曜プレスクラブ」コメンテーター、育英短期大学講師としても活動中。 ベストセラー「頭のいい子が育つパパの習慣」(PHP文庫)や、「40代 あなたが今やるべきこと」(中経文庫)、「ラジオ記者、走る」(新潮新書)の他多くの著書をはじめ、夕刊フジ連載、「週刊東洋経済」「新潮45」など、記事掲載も多数。

Book Information

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すべての人にやさしい言葉で、自分のテーマを届けたい



政治記者として14年のキャリアをお持ちの清水克彦さんは、現在文化放送でニュースデスクを務める傍ら、育英短期大学の講師や、「40代 あなたが今やるべきこと」、「頭のいい子が育つパパの習慣」など、子育て、家族の在り方に関する著書も執筆されています。横断的にメディアで活躍されている清水さんに、読書と書籍の未来についてのお考えを伺いました。

教育者、作家とニュースデスク、解説者と4、5足のわらじを履く毎日


――近況とお仕事の取り組みについて、お伺いできますか?


清水克彦氏: 今は、報道スポーツセンターというところに所属しています。基本的には報道部におりまして、デスク兼解説役として、全国ネットのニュースや定時ニュースの仕事をしています。大きな事件が起きた場合、特に政治と国際情勢関係の場合などは、スタジオに入ります。

―― 普段のお仕事では、それぞれのスケジュールや仕事の時間配分の仕方などはありますか?


清水克彦氏: 基本は9時に出社して5時の全国ネットでニュースを出したら終了します。週に1、2回そのデスクで仕事があって、1、2日は取材。残りの日はサブデスクという形でデスクを補助するという内訳になっています。そのようにおおよそ決まっていても、報道の世界はエンドレスですから、全く暇な日もあれば3日くらい徹夜に近い日もあります。そういう中で会社員の仕事もやり、執筆のために取材もし、講演も行くという4、5足のわらじを常に履いている状態です。

―― 様々なお仕事をされていますが、頭の中ではどのように整理されているのでしょうか?


清水克彦氏: 仕事に関しては満点というのはないと思っています。今日はベストのことができたと思っても、もう少し深めようと思えばもっと深められるし、良くしようと思ったら良くできるわけで、そこに決まりはありません。1つの仕事とか、2足のわらじぐらいだと両方に力が入ってしまう。ところが3足以上のわらじを履くと、物理的に効率を上げて、「この仕事はここまで」と自分の中で、一つ一つ区切りをつけないと回っていかないので、踏ん切りが良くなります。結果として、そちらの方が悩んでいるよりも良いものができたりします。節約でも、10円くらい削ろうと思うとなかなか削れないけれど、バッサリ「ここはなくそう」と思えば削れるというように、時間もおそらく同じなのではないでしょうか。

小さい頃から文章を書くこととスピーチは得意だった


――幼少期はどのようなお子さんでしたか?


清水克彦氏: 子供の頃から「人前で話すことと、文章を書くことは上手だね」と先生に褒められていました。小・中学校時代は、算数や音楽は苦手でしたが、作文コンクールや感想文の大会、弁論大会では、常に代表となって県大会などに出ていました。

――大学時代というのは、どんな風に過ごされていましたか?


清水克彦氏: 大学時代はハンドボールをやっていて、授業はほとんど出ていなかった気がしますが、文系ですから試験の時だけはちゃんと行きました。「親のお金で行かせてもらっている」という有り難みが実感としてわかなくて、今考えれば本当に親不孝をしたと思います。早稲田大学の卒業式では、一番後ろの方の席に座っていたんです。卒業式では各学部の総代になった人たちや、賞をもらう人たちが登壇します。1学年1万人くらいの中から2、30人くらいのが登壇するのですが、高校までの卒業式と比べると、舞台に上がらない自分に対して、すごく違和感がありました。だから早稲田では、なんとなく卒業した感じがしませんでした。

その後、自分で稼いだ200万を使って、46歳で大学院へ行くことになった時は、一番前に座って授業を受けていました。仕事の都合で1、2回休んだことはありますが、この時は首席総代を目指していたので、それ以外は全部行きました。その結果、首席総代になって、卒業式で舞台に上がれた時はうれしかったです。

40歳を機に、原点に戻った


――いつご自身の進みたいと思う道に出会えたのでしょうか?


清水克彦氏: 30代の頃は、もんもんとしていました。ちょうど私の20代後半から30代にかけて、世界の秩序がガラッと変わった時期がありました。ベルリンの壁がなくなる、ソビエトがなくなる、日本で言えば自民党一党体制が崩れて55年体制崩壊というようなことがあって、バブルがはじけて、また大変な時代になった。立場的にも一記者ですから、毎日、国会や永田町周辺を往復していたので会社には出られず、時には海外の各地で取材をしたりしていて、それを伝えることが自分の今の仕事なんだ、という思いでいました。時間的にも全く余裕がなかったので、ふと気が付いたら40歳になっていました。先の人生を考えると、「このままでいいのかな」と思い始めたわけです。

―― 自分の進むべき道、進みたい道について考え始めたのですね。


清水克彦氏: どこの企業でもそうですが、若いうちは現場で経験を積んで、徐々に中間管理職になって、それから管理職に就く、という風にステップアップしていきます。でも、自分の原体験で言うと、書いたりしゃべったりする仕事を生業にしたいのに、人を管理するだけの生活では面白くない、そう感じていました。文章とスピーチ、その2つを武器に、本を書いたり、ラジオや講演会を通じて人前で話したりする仕事をメインにやっていこうと、40歳ぐらいの時に決めました。スポーツでもそうですが、苦手なものを克服するよりは、自分の得意な領域を伸ばした方が絶対うまくいくのです。例えば番組の編集作業やダビング作業などは、その専門の分野の人間がやった方がうまい。そういうことは専門職に任せて、自分は、原稿を書いたりニュースを解説したりする技術を磨いた方が、企業にとってもプラスになるはずだ、というのが最近の私の持論です。

――清水さんを駆り立てて動かしているものは何でしょうか?


清水克彦氏: 自分と同年代で、業界で取材をする立場の人の中には、すごい人はたくさんいます。重松清さんも同い年だし、政界で言えば前原誠司さんも同い年で、和田秀樹さんも私よりわずか2歳上です。当時は、色々なジャンルで活躍している40代前半の方がすごく多かったのですが、そういう人たちを間近で見て、「自分だってできるんじゃないか?自分だって始められるんじゃないか?」と思いました。

――その目標をどのように形にしていかれたのでしょうか?

清水克彦氏

清水克彦氏: 私はスポーツが好きで、特に高校野球が好きです。母校も高校野球が強くて、帰省する度に母校の練習を見に行きますが、相当厳しい練習をしています。
彼らはその練習をこなすから甲子園を狙えるようになるわけです。「甲子園に行きたい」と唱えているだけではその夢はかないません。夢って思い描いているだけでは絶対かなわない。動き出さないとかなわないというのを、母校の野球部の姿勢を見たり、東京周辺の高校野球の試合や練習を見に行ったりすることですごく思いました。
例えば、出版で言うと、本を出すのが甲子園出場と同じことだとしたら、社内の編集会議や営業会議、最終的には取締役クラスの決済、これが県大会ということで、それらをクリアして甲子園出場、つまり本が出るわけです。出版した後、初版で終われば1回戦敗退。5万部とか10万部とかいけばベスト4ぐらい。まだ私は経験がないですけど50万とかミリオンとか行けば優勝、とかね。自分も彼らと同じように、甲子園になぞらえて考えました。

――本を出すことに対してはどのような思いがありますか?


清水克彦氏: テレビやラジオなどの電波媒体は流れて終わりですが、本は形に残るものなので、そういう意味ではやりたいという思いがありました。私が書いている本の中には、政治の本やメディアの本もありますが、それを抜きにすると基本ビジネス書系か、子育て系に分かれます。なんで同じ人間が別のテーマで書いているのかとよく聞かれるんですが、基本は子育て世代を応援しているんです。そこが元気がないと日本全体が沈滞ムードになってしまいますし、どんなに政治がいい策を打っても、それが社会全体の活力になってきません。子育て世代が元気であること、夢を持ってバリバリやること、そして、それがその子供たちに継承されていくことがすごく重要だと、私は思っています。それが政治記者をやっていて感じたことなのですが、それが今、私の軸になっています。

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