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世界中の本好きのために

円城塔

Profile

北海道出身。 東北大学理学部物理第二学科卒業後、物理学ではなく学際的な領域に専攻を変え、東京大学大学院総合文化研究科博士課程を修了し、学術博士号を取得。 北海道大学、京都大学、東京大学で博士研究員として働いたのち、ウェブ・エンジニアを経て、専業作家となる。 SFや前衛文学など様々な意匠の混在する作風。「数理的小説の第一人者」と称され、独特の論理展開やユーモアを含む文体を操る。 著書『道化師の蝶』での芥川龍之介賞受賞をはじめ、数多くの賞を受賞している。

Book Information

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メディアの変革期、「前の方で暴れる」書き手に



円城塔さんは、理系の研究者から小説家に転身。数理的な試みに満ち、言葉を並べ、物語を描くという行為そのものの根源にさかのぼるかのような作品の数々で、「純文学」の読み手を大いに驚かせました。円城さんに、作家になった経緯や、創作観などをお聞きするうち、電子書籍の登場などメディアの変化が、表現そのものを変える可能性を秘める「文学的」な問題であることがわかってきました。

突拍子もない話が好きだった


――早速ですが、円城さんの近況をお聞かせください。


円城塔氏: 本当に、書くだけです。最近なかなか手が動かなくて、どうしようかな、というところです(笑)。

――普段はどちらで執筆されているのですか?


円城塔氏: 家にいると寝てしまうので、喫茶店で書いています。アイデアが出ない時には、散歩したり家事をしたり。ふつうの暮らしですね。

――小説を読んで、円城さんの発想がどこからくるのか、どのような方なのかと気になっている人は多いと思います。


円城塔氏: 「難しい人だと思っていました」とか、「数式でしゃべるかと思いました」とかよく言われるのですが、まあ、そんなことはないですよね。「寝るんですか?」っていう質問されたこともありますが、きちんと寝ます(笑)。

円城塔氏

――その円城さんの謎に迫るべく、幼少期の読書体験からお伺いします。


円城塔氏: 小さい頃は、あまり本は読んでいないです。家に文学全集とかはありましたけど、触ることもなく、特に図書館通いすることもなかった。多分高校生ぐらいに自分で本を買うようになって、ハヤカワ文庫とかを読んでいたような気がしますが、あまり覚えがない。ちゃんと読むようになったのは、大学からです。

――大学では、SF研究会にいらっしゃったそうですね。


円城塔氏: 読んでいたのが主にSFだったので、一応所属してました。ミステリーを読んでいたらミステリー研究会に行ったのでしょうが、ミステリーはいまいち合わなかった。僕は、突拍子もない話が好きなんですが、そういう意味でSFは宇宙人とかが臆面もなく出てきて、突拍子もない。ミステリーは、何の説明もなく宇宙人が出て来ると怒られそうな気がする(笑)。SFの方が、決まりがなくて、何をやってもいいので性に合ったのだと思います。

――その後大学院に進まれますが、そのころは作家になりたいというお気持ちはなかったのでしょうか?


円城塔氏: それは全然考えてなかったです。研究者になれればと思っていました。

小説は食べるために書いている


――小説を書かれるようになったのはどうしてでしょうか?


円城塔氏: お金がなくて本が買えないから、自分で書けばいいんじゃないかという選択肢になったんです(笑)。「こういうのが読みたい」みたいなものを、あいた時間にぽつぽつ書いていました。

――研究の世界から小説家に転身されたのはなぜだったのでしょうか?


円城塔氏: 僕は芽が出ない研究者で、論文もあんまり書いていなかった。ポスドクなので、身分がすごく不安定で、三十代半ばくらいにその一年くらい書いていた小説を指導教官の金子邦彦先生に見せたら、「何かの賞に出せば」と言われました。研究者として最後の年は本当にお金がなくて、家賃を削ればなんとかなるんですけど、家賃を削るためには引っ越さなければならない。でも引っ越し費用がない。仕事の契約がその年までで、次の仕事もなくて、来年どうしようかなという状態でした。結局、知り合いの会社に拾ってもらうんですけれども、ギリギリでした。雇ってくれって言ったのが2月で、4月から働いたんです。

――その会社はどのようなことをしているところだったのでしょうか?


円城塔氏: ウェブ関係の会社です。でも別に僕はそっち系の手が動くわけではないので、ただ会社に何となくいる人でしたね(笑)。大学を辞めて、勤めを始めて、物書きになったのがほぼ同時期で、「何だこの生活は」という感じでした。どっちのお金だけでも暮らせないので、どっちも辞められない。「意外と暮らしていける」とも思いましたけど(笑)。

――作家も最初から明確に職業として成り立たせるという意識があったのですか?


円城塔氏: 僕は芸術家タイプの人をすごく尊敬はするのですが、自分は明らかにそっち側ではなく、食べるためです。締め切りまでに指定された量を納めるというイメージの方が強い。依頼の時に期間と長さの条件があって、それをどう埋めるかと考える。気に入らないものは書かないというタイプでもない。「恋愛物を書きませんか」とか言われると、「やってみますけれどきっと違うものになりますよ」とは言いますけれども。最近はそんなに受けられなくなっていますが、貧乏性なので受けられるものは全部受けようと思っています。何かやらないと食べられないですから。だから、多分手元に10億あったら、本は書かないと思います。「締め切りに追われるのはいやだ」とか、「今は気が乗らない」とか言いながら、結局何も書かずに終わるような気がします(笑)。

純文学はお金の回り方が謎


――円城さんの小説をカテゴライズするのは難しいのですが、純文学と言われるジャンルの小説を書かれたのはなぜでしょうか?


円城塔氏: 身もふたもない答えとしては、「短くてもいいから」です。新人賞の規定を見るとわかりますが、純文系って100枚、200枚なんです。僕はどうしても、小さく書いて伸ばしていくタイプなので、長いとつらい。ホラ話を1000枚も続けられない。でも短いとエンタメには載らない。変なことをするとエンタメですらなくなる。でも、「文芸です!」と言い張ると許してもらえる(笑)。

――数々の賞を受けられて、文芸で身を立てることにだんだん自信が持てるようになりましたか?

円城塔氏

円城塔氏: 大きく言えばそうですが、実感としては疑問です。入ってからわかるんですけど、純文学業界って、あんまりお金が回っていない。雑誌も全く売れていないし、単行本も売れていないですから。純文系の同人誌であれば、編集もボランティアスタッフでやっている感じです。いまだに、どうやって回っているかわからない。会社としてはほかの部署の売り益を回しているのかもしれませんが、本も売れなくて雑誌も売れないと、さすがにいけないのではないかという気持ちにはなる。

――純文学は文化として守っていかなければならないという考えもあります。


円城塔氏: 難しいです。文化だからといって無限に守るというわけにもいかない。全員がものすごく稼がなくてはいけないとは思っていないので、自分としては、一応食べていくことぐらいは考えようという立場です。勝ち組、負け組と分ける前に、まずは自分で食べていくことです。全員を食わせろと言うと、どこかがおかしくなるので、それぞれに何か考えた方がいい。自分の食いぶちぐらいを稼いだら、後はもう放っておいてくれという感じはします。

新しいメディアは誰も使い方がわからない


――円城さんは、論文をPDFで発表することを以前からされていますね。


円城塔氏: 理学系では普通のことです。プレプリントサーバーというのがありまして、雑誌に掲載される前にそこに論文を入れ込んでおくと、みんなダウンロードできて楽なんじゃないか、っていうことです。ロスアラモスとか京大とかが有名ですが。僕の頃はまだ、PDFのバージョンが1.0とかで、これは使い物になるのか、いくらなんでも重すぎないかという感じでした。当時はPostScriptがメインでしたね。それより前は、紙の学術誌しかなくて、それを大学の図書館が購入してみんなが図書館に行って読んでいたのが、検索とダウンロードができるようになったわけです。もっとも、紙の雑誌の方が引用元としても正式なものとされますし、プレプリントはあくまで「告知」なんですけど。

――そのような新しい技術に、どのような可能性を感じましたか?


円城塔氏: 学術誌はどうやっていくのだろうと考えますよね。プレサーバーに全部入れ込んでおけば、学術誌はいらなくなる。本にこだわる必要があるのか、という話になっていく。でも、学術誌もないと困る。ただ何が困るかと言ったら実はよくわからないですが。

――紙がなくては困るけど、電子との住み分けがどのように成り立つのかわからないというのは、まさに今の電子書籍を取り巻く状況に近いと思います。


円城塔氏: メディアの使い方は、わからないものです。活版印刷ができた頃は、手書きじゃなきゃいやだという話があっただろうし、電話ができた時には、電報と同じじゃないかというのがあった。むしろ電話ができた時は、両端に人がいる時じゃないと話ができないから不便だという話さえあった。電報があるから、電話の通信量は増えないだろうとか言われていた。でも、その後どうなったかは誰もが知っています。携帯電話もそうです。最初の頃、そんなの持ち歩くのは邪魔じゃないか、という話だった。今はないと待ち合わせひとつできない。電子書籍は、提供する側も使う側も、まだ使い方がよくわかっていないんじゃないでしょうか。

電子書籍に特化した書き手の出現も


――円城さんご自身は、電子書籍の可能性をどのように考えられていますか?

円城塔氏

円城塔氏: 本の代替メディアとして使うのはあまりよくないという気はします。ラジオとテレビのようなもので、共通する部分はあるけれども、全然違う物として使うといいと思います。僕は普通に読書していても検索はしたい。昔の紙の書籍は、索引を作るのに大きな労力を使っていたわけですが、それをなくした上に、さらに便利なものができるメリットはあります。検索できて、コピーアンドぺーストができることによって、紙の本と電子の本では読み方が全然違うものになるはずですが、今はそれが同じもののように横に並んでいる状況です。今のところは書き手も、紙の本と同じように書いてますよね。でも違う書き方があるのではないかという気もしています。
一昔前の携帯小説は携帯の画面に特化して書くというようなことをしていました。電子書籍をやりたい書き手は、そういうもの探すとよいのではと感じています。当然紙の本でなきゃだめだ、というのをやる人は紙でやればよくて、検索できるのが便利だからっていう人は電子でやればいい、というだけだと思うんです。紙としての質感を持って、優雅に読むスタイルが欲しいというのと、材料として生データが欲しいというのは全然違う。僕の場合、生データをくれと思うことの方が多いので、電子の方がありがたい場合が多い。

――メディアが変われば表現方法も変わってくるということですね。


円城塔氏: 例えば、巨大な石にノミで彫るしかないなら、2ちゃんねるの書き込みとかツイッター的な「今起きた」みたいな文章は、労力に見合わないからなくなります。書く手段が楽になればなるほど、内容がばかになっていくというのは、これはもうしょうがない。何を手段にして書くかということは非常に重要で、僕は明日世の中からPCがなくなったら、違う仕事を探すと思います。

――本の編集の様相も変わっていくのではないでしょうか。


円城塔氏: 僕は「ゲラをFAXで送ります」とか言われると、そもそもFAXを持っていませんから困る。PDFであっても、画像データで来たりしますので「頼む、文字を埋め込んでくれ」と思う。編集さんとは、そういう意識の差はあります。編集者のたたかれ方というか、育てられ方というのは、最終的に印刷されているものとして見えているものがすべてで、メタデータという考え方はないし、作業部分はどれだけきたなくたっていいんです。そこは最終生産物に入っていないから。でもそれだとメンテできない。メタデータの意識があれば、テキストで埋め込むという発想も出てくると思います。後は、いまだにファイル名を日本語で付けて送ってくるのをやめてほしい。実はまだ日本語のファイル名というものが、規格として安定しているものではない、誰でも読めるものではないということは知っておいて欲しい。自分がどんな道具を使っているのか知っておくべきだという意味で。

本で稼ぐための仕組みの変革


――とはいえ、本作りに編集者が必要なのは変わらないことでしょうか。


円城塔氏: そうですね。電子でも編集さんがいないと、どうしようもない感じはします。結局一人ではできないので、それは変わらないんじゃないでしょうか。特に僕の場合、猛烈に間違える(笑)。引用とかも間違えますから、ダブルチェックはしないといけない。ワークフローを一人で抱え込むと気が狂うので、分業することは必要です。必要があって分かれた仕事のはずなので、急に元に戻せるとは思えない。分けすぎるとお金がかかりすぎるという問題もありますから、集約できるところは集約する必要はありますけれど。

円城塔氏

まずは、出版社に、頼むからWEB技術者を雇ってくれとは言いたいですね。普通に新入社員で採ればいい。外注すると、WEB担当者が週に1回しか来なくて、「今担当がいないので直せません」ということがよくある。誤字を直してくれとかいうレベルで、そういうことが生じても困る。「じゃあサーバーのパスワードくれ、自分が入って直す!」みたいなことになるわけです(笑)。これは編集さん個人の話ではなくて会社組織の話です。
今も、電子書籍化は出版社内部で版組ができなくなっているので、印刷所が持っているはずです。端末があれだけある以上、全部の見栄えをチェックするというようなことは出版社の手に負えない。アメリカもそうで、紙の本と同時にKindle版が出ることが多いですけど、あれは印刷所が持っているからできることです。印刷所は、紙の本自体はそんなに作らなくなっているという話もあります。印刷所は何かを印刷するのが仕事で、必ずしも本を印刷しなくとも良い。それを編集者がある程度わかっていないと、話が通じなくなるでしょう。

――「自炊」の問題などに顕著ですが、デジタルデータになることで、著者にどのようにお金が入るのかという問題もあります。


円城塔氏: データが複製可能であること自体は、どうしようもない。でも、みんな意外とお金は払うんです。ただ、今は少額の振り込み、例えば100円振り込むというシステムを作るのが難しい。バーチャル貨幣系のことでそれをやろうとする人はいます。マイクロペイメントみたいなものもあって、そっちにつなげようとする人はいますが、社会変動が伴うので、難しい。マイクロペイメントができて、お布施のようなシステムが回れば、ある程度は回る。でもそれも無理かなという気もしていて、今のところは、どうするのかが見えていない。そもそもなぜ作家が稼げていたのか、どうやってお金をもらっていたんだっけ、みたいな話になりますね。

環境に適応した「小説」が生成する



円城塔氏: でも「小説家」の歴史は浅いんです。せいぜい19世紀、想像のお話を書いてお金がもらえるようになったのは、ここ200年ぐらいです。それ以前は『ガリヴァー旅行記』とかでも、冒頭に「本当の話だから!本当の話だから!」と書かないと許してもらえない感じもあった。そうしないと「何でお前のウソなんか聞かなきゃいけないの?」みたいな話になる。そういった時代から、著者に暮らしていけるくらいのお金が入るというシステムができたのは、かなり最近のことではないでしょうか。本を一人で書くようになったのも、その本に著者の名前が付くようになり、お金が入るようになったのも新しい。そして最近になって、電子によるコピーの話が出てきて、複製のコストが恐ろしく下がった。何か、「一つの時代が終わる」みたいな大きな話にだんだん近づいてきてしまいますね(笑)。

――次の時代、円城さんはどのような作品を書きたいと考えられていますか?


円城塔氏: 僕は、自分の書きたい小説があって、それを書くというタイプではなくて、どちらかというと成り行きに任せています。長期計画よりは、機会があれば、という感じの方が楽しいので、本当に何でもいいです。伝えたいメッセージとかも、よく聞かれるんですが、別にない。僕は、自分の意志決定はそれほど信じていないところがあります。自分のすることは、周りの環境によって決定されるものだという感覚が強い。それでいて責任は自分が取らなきゃいけないというのは、理不尽なシステムだなと思いますが(笑)。
最近は、ずっと同じことばっかり書いているような気がしていて、ちょっと苦しんではいます。ものかきとしての生活もまだ6年目なんだから、同じことしていてもいいんじゃないか、ということも一方では思いますが、僕は、どちらかと言うと前の方に行って暴れるための要員という感じはしているので、あんまり落ち着いてはダメかなという気はしますね。少なくとも文豪になるというタイプではないです。僕は多分、温泉宿に行って小説を書いたら、文豪になるんじゃなくて、文豪プレイになると思うんですよね(笑)。何かウソくさくなる。その辺のバランスが難しいですね。僕は前々から、自動生成と言っていますが、プログラムで小説を書いちゃえばいいと言っている。そういう依頼が来るといいんですが、ありませんね。「そんなことできないでしょう」とか言われるんですけど、できないのは当たり前です。でもできることもある。とりあえずメタデータを入れろとか(笑)。読み方も片っ端から検索されることを想定して、それに特化したものを書いていく方が楽しいという気はしています。今はそういう話を編集さんとかにしても「ああ、面白いですね」みたいに流されて終わりみたいなことになってしまいますね。そのようなものができてきた時、次の時代の小説とは何なのかという話がようやく出てくるのではないでしょうか。

(聞き手:沖中幸太郎)

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