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世界中の本好きのために

鷲田小彌太

Profile

1942年北海道札幌市生まれ。大阪大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科博士課程修了。三重短期大学教授を経て、1983年から札幌大学教授(哲学・倫理学)。哲学こそ森羅万象を対象にする雑学=好奇心=教養の学であるという立場を貫き、哲学をわかりやすい語り口で伝えると同時に、評論活動も精力的にこなす。2012年退職。札幌大学名誉教授就任。近著に『こんな大学教授はいりません』、『日本人の哲学1 哲学者列伝』(ともに言視舎)、『理想の逝き方 』(PHP文庫)、ほか多数。

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ものを知れば知るほど、奥が深くなる。それが哲学



200冊を超える哲学や倫理学、エッセイに人生論や評論等の書物を著してきた鷲田小彌太氏。御年70歳を迎え、札幌大学教授を退職された後も、活躍している。その衰えを知らぬ執筆力や研究に対する情熱はどうやって生まれたのか、そして知識を深めるということはどういうことなのか、多くのお話をユーモアのある語りで聞かせていただきました。

原稿は3日間で書けますよ、300枚だったらね


――今年ちょうど札幌大学教授職を退任されまして、今から色々と、自由な時間ができると思いますが、近況をお伺いできますか?


鷲田小彌太氏: 大学を辞めてもあまり生活が変わらないんですよ。朝5時くらいから12時まで仕事をして、余裕があったら昼寝して、あとまた少し仕事をする。夜はお酒を飲んでテレビを見る。それがこの20年、30年くらいの日常です。後は、暇があると好きなだけお酒を飲んでいます。日本酒が好きですけどね、美味しいお酒なら何でも飲みますよ(笑)。

――普段、どのように本を執筆されていますか?


鷲田小彌太氏: 僕は起きたらすぐ、仕事ができるんですよ。7時半ごろ朝飯を軽くとって、12時までに軽食をとって、お酒を飲む場合もあるし、飲まない場合もある。仕事の大半は本を読んでいますけれどね。書くのはこの30年近くワープロ専用からパソコンですね。横書きで、40字、だーっと書いています。

――書きながら色々考えられたりするのですか?


鷲田小彌太氏: 僕は、目次を作って書いていきます。だから、「10日で書け」って言われたら、10日で書けます。300枚だったら3日で書けます。全く新しいものなんて、絶対書けませんからね。頭の中で蓄積のあるものをつなげばいいだけなんです。

文学部に入ってあまりにも本を読んでこなかったから、恥ずかしい思いをした


鷲田小彌太氏

――先生の読書体験について、お伺いできますか?


鷲田小彌太氏: 僕はガリ勉で、受験勉強しかしてこなかった。でも後で調べたらね、14歳の時に、ちゃんと『罪と罰』(岩波文庫)と『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)は読んでいましたね。その前は父親が持っていた、今ではエロ本とは言わないけど、昔は挿絵付きの高木彬光とか横溝正史さんとか書いた『面白倶楽部』とか『講談倶楽部』というね、ちょっとエロチックなものがあったんですよ。それを隠れて読んでいた。見つかったら殴られましたけど(笑)。それ以外は、受験勉強をしていました。大学の文学部に入ってから、あまりにも自分が本を読んでないので、恥ずかしくなりました。実家は商売をやっていましたから、父も母も、死ぬまでハードカバーの本を読んだことがないかもしれない。僕が書いた本を見たことはあるかもしれないけど。

哲学科に入って、外国語漬けの日々


――文学部哲学科に進まれて、そこからまたたくさんの本を読まれたのですか?


鷲田小彌太氏: 初め、国文に行こうと思ったんですよ。そこで、すぐ『源氏物語』を読んだんですけどね、なかなかよく理解できる。一瞬、自分は天才だと思いました。それから歴史の方へいこうかと迷ったりしましたが、結局哲学科に行ったんです。哲学科ってハードルが高くてね、ギリシャ語、ラテン語、それから、英独仏、ちゃんと単位を全部取らないといけなかった。で、ドイツ語は5単位、各100分授業を2年間取らなくちゃいけない。そのほかにまた、特講を取らなくちゃいけない。僕は、ギリギリみんな60点取れて入ったんです。語学ができないっていうことに、非常にコンプレックスを感じましたよ。僕の先生の相原信作先生は、英独仏露華を含む外国語の原書で読めるんです。ある時先生に、「鷲田君は最近どんな本を読みましたか」と聞かれて、「ホイジンガって人の『ホモ・ルーデンス』っていう本です」と答えたら「じゃあ君はオランダ語ができるんだね」ってからかわれたんです。先生は僕がドイツ語の語尾を間違うので、「君はオランダ語もできるんだね」とからかわれたわけです。オランダはダッチで、ドイツ語の方言というわけです。先生にはどうしたって語学力では勝てなくて、それから少しは勉強をしましたね。ただし卒業論文だけは褒めてもらえましたね。

――それから、助手になり教授職に進まれたわけですね。


鷲田小彌太氏: いやいや、哲学科には30人ぐらい大学院生がいたけれど、僕だけ就職できなかったんですよ。順番で大学院の全学議長に当たった。大学紛争時です。左翼でしたが、4年間辞めるに辞められなかった。就職がない、教授が推薦してくれない。それで、友達が拾ってくれたんですよ。むちゃ給料が安かったけれど、うれしかった。「あぁ、これで少しは研究もできるのかな」って。生活するのって大変ですからね。後は皆さんと同じじゃないかな。大してもうからないのに、仕事するのが好きだからやっている。

30代、10年間の忙しすぎる日々、だから二度と戻りたくない


――その当時、三重短大に行かれた時は、「これから著作をどんどんやるんだ」っていう様なお気持ちはあったんですか?


鷲田小彌太氏: ありましたね。もう研究者にはなれませんからね。研究はするけども、いわゆる「大学の哲学(スコラ)」をやろうって気はもうなくなった。僕の研究は、カントとスピノザとヘーゲルとマルクスです。その世界をどんな研究していて、それがどういう意味があって、どういう歴史的な展開があるのかなんてことは、あきらめました。

――ご著書に『大学教授になる方法』という本がありますよね。


鷲田小彌太氏

鷲田小彌太氏: あれは大学論なんですよね。ちょうど、アメリカで『大学教授調書』という本が出た。それはジャーナリストが書いた本で、大学告発の本なんですね。僕は実態を書いているだけ。ただ、僕のマルクス学の先生で、東大の教授だった廣松渉先生から手紙が来ましてね、「鷲田君の言うとおりだけどね、でも大学教授になるのはむちゃくちゃに難しいのは、僕もそうだし、君も知っているじゃないか」と言われましたけどね。だけど教授になるには「10年間無給で研究しなければならない」という条件を満たせる人なんてそうそういない。無給ですよ。僕は無給で生きられないから10年間、仕事もして、アルバイトもして、それから研究もしました。だからゆっくり寝る時間なんかなかった。それに政治活動もやっていたから、自分の子供に会う暇もありません。家族を養い、研究も政治もする。どうしてそんなことをやったのかは、よく分からない。意地だったのかな。だからその時代には二度と戻りたくないですね(笑)。

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