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世界中の本好きのために

有栖川有栖

Profile

1959年大阪市生まれ。小学4年生で推理小説のおもしろさを知り、5年生で創作を始める。中学3年の時、長編を書き上げて江戸川乱歩賞に応募。初落選。以後、高校・大学・社会人時代を通じて、たびたび落選。大学時代は同志社大学推理小説に所属し、機関誌「カメレオン」に創作を発表。同志社大学法学部卒業。卒業後は書店に就職。1989年、鮎川哲也氏の推挽をもらい、『月光ゲーム』(創元推理文庫)でデビュー。以降、コンスタントに作品を発表し、1994年に作家専業となる。2000年に設立された本格ミステリ作家クラブの会長に就任して、05年まで務める。2003年、『マレー鉄道の謎』(講談社文庫)で日本推理作家協会賞を受賞。

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自分が面白いことを、面白がってもらうために書いています



推理小説の大家であり、大の読書家でもある有栖川有栖氏。新作執筆中の修羅場の中、電子書籍の可能性と懸念、そして本を読むこと、所有することについてお話しいただきました。

設計図を作りつつも、ライブ感のある執筆をする


――今、新作を執筆中と伺いました。


有栖川有栖氏: いわゆる原稿の修羅場というやつですね。構想がまとまらなくて、着手するのが遅れたので、全速力で書いている最中です。こんなペースで書いたことがない、というぐらいの速さで書かないと間に合わないんですけれど、ぎりぎりなんとかなるかな?という非常にスリリングな状況ですね。体は疲れるんですけれどね、働いているという感じがしています(笑)。

――執筆される際は、頭の中で構想を練ってから執筆されますか?


有栖川有栖氏: 私が書いているのは謎解きものの推理小説なので、設計図をきちっと作って、設計図に従って書いていくのが基本です。設計図を作って、伏線を張って、配置した手がかりが決めた通りのタイミングで組み上がって、決めた通り局面が変わって最後に着地する、という流れを全部できてから書いているつもりでした。でも、冷静に考え直してみると、小説はやっぱりアドリブの部分も多いですね。始まりも通過点も着地点も決まっていても、途中でちょっときょろきょろしたり、わき見したりふらふら寄り道したりすることも非常に多い。書く瞬間、勝手に指が動くわけではないですけども、その都度その都度何か生まれているような気もしますね。特に、今書いている小説も、ここを通ってここへ到着しますっていうのは分かっているんですが、変更の余地がありそうだと考えたりします。ストーリーそのものは、どんな人物がどんな会話を交わしてどんなエピソードが入るかなどというのは非常に茫洋としていて、今日書く分は今日決めればいいというライブ感が出ています。推理小説はこうあるべきだろうということから考えると、大丈夫かなと不安もよぎったりしますが、でも小説をライブで書いているって方が多いようですし、そのスリルもまた楽しい。

――今書いていらっしゃる作品の内容を教えていただけますか?


有栖川有栖氏:闇の喇叭』、『真夜中の探偵』の続きになる第3作目で、いろいろな要素を含んだミステリーです。それぞれのお話で、事件が起きて解決っていう意味では完結性があるんですけども、全体を通しての長いストーリーがある。多分私が生涯で書く中で、全何冊かになるような一番長い小説になると思います。着地点はぼんやり分かっているんですけど、まだ確定してないし、どうやってそこまで行くかっていうのは見えていないところのほうが多い。

――何年くらいかかっているのでしょうか?


有栖川有栖氏: 最初に書いたのは3年ぐらい前です。「年に1冊は書かないと」と思うんですけど(笑)。年に1冊といいながら、今書いているのを大急ぎで出しても12月ですから、今年ぎりぎりなんですよね。私にしては長大な作品にかかって、何冊になるか分からないけれど、まだ3冊目なので、それをきちんと書き上げたい。「50代のときあれやったなあ」というような仕事になればいいかなと思っています。推理小説はアイデアをひねり出しながら書かないといけないので、「次のアイデアがいつ浮かぶかなあ」って、なかなか心もとないとこもあるんです。しぶとく頑張っていきたいですね。

――執筆スタイルについても伺ますか?


有栖川有栖氏: 仕事部屋というか書斎があるのに、最近書斎では全く書いていませんね。ノートパソコンを持って、リビングとかダイニングのテーブルとか、テレビの横で書いていますね。ニュース番組とか野球中継とか見ながら書いて、しょっちゅう手が止まりながら(笑)そんなスタイルです。

しゃべるより書くほうが饒舌だった少年時代


――作家を意識したのはいくつくらいからでしたか?


有栖川有栖氏: 子どものころから文章を書くのは好きだったんです。普通、作文の時間って子どもはみんな嫌いですよね。私は好きで、何枚書いてもいいよって先生にいわれたら、10枚くらい書いていた(笑)。「原稿用紙もっともらっていいですか?」とかいってどんどん書いていると、みんなが「おおー、あいつなんかまた原稿用紙もらっているぞ!」っていっているのが、けっこう面白かったりしました。

――書くのがお好きだったんですね。

有栖川有栖氏

有栖川有栖氏: 好きでした。遠足や修学旅行に行くと、帰ったらまた作文書けっていわれるなあって分かっていますよね。そうしたら、遠足や修学旅行に行っている最中に文章を考えているんですよ。「ここはこういう描写をする、風景描写が絶対いる」とか、「向こうに見えている半島は何というんだろう、書くときには名前を挙げたほうがいいな」とか地図を見て調べたりね(笑)。そういう子どもでした。

――遠足というより取材ですね。


有栖川有栖氏: これは「おしゃべり」と同じなんでしょう。私は口数が少なくて、人見知りするほうだったし、友達大勢の輪の中心で、面白い話をべらべらしゃべるっていうタイプではありませんでしたが、筆を持ったら饒舌になる。逆におしゃべりな子たちって、しゃべったほうが早いから、書けっていわれたら無口になりがちです。しゃべったほうがみんなにアピールできるっていう人は、文章を書くことが面倒だってなります。絵を描くのがうまい人も文章より絵にしたほうが伝わるとか、そういうことがあるでしょう。

――初めて小説を書かれたのはいつごろでしょうか?


有栖川有栖氏: 11歳のときで、その当時から将来の夢は「小説家」って答えていました。最近はそういう小学生けっこういるんじゃないかと思うんですけども、私が子どものころは、「野球選手になりたい」、「漫画家になりたい」とか、あるいはもうちょっと冷静に「新聞記者になりたい」という子どもは多くいましたけど、「小説家になりたい」なんていう子は、当時は風変わりだったと思います。

――どんなきっかけで、小説家になりたいと思いましたか?


有栖川有栖氏: シャーロック・ホームズに夢中になって、推理小説が好きになって、自分も書いてみたくなったんです。子どもって漫画が好きだったら遊びで野球漫画や、怖い漫画を描いてみますよね。私もそんな風に漫画を書いていたんです。ただ、漫画家になるほど絵はうまくないなと自覚しながら、友達と漫画の雑誌を作って遊んだりしていました。そうこうしているうちに、漫画も面白いけど、「推理小説はなんて面白いんだ」と思った。それで、小説を遊びで書いたんですが、シャーロック・ホームズの物まねみたいな小説を書いてみたら楽しかったわけです。

――その小説はワトソンとホームズの世界観で書かれたんですか?


有栖川有栖氏: 19世紀のロンドンなんてどんなところか分からないので、さすがに書けないじゃないですか。舞台は現代の日本です。でも登場人物はシャーロック・ホームズの設定の相似形。私立探偵がいて、ビルの2階に事務所があって、依頼人が階段を上ってやってくるというのを、原稿用紙にして15、6枚ぐらい、そんなお話を作ったのが最初でした。書いて楽しかったっていうことで十分でした。自分の書いた文って面白いような気がするんですよ。漫画だと面白いとか上手に書けたっていっても、クラスにもっと絵のうまい子がいたりしたら、あの子よりはうまくないとか、自分の絵はダサいなとか思ってしまう(笑)。絵とか野球とかはね、私はクラスで3番目だとか5番目だとか、他人と比べて思い知るんですけど、なんせ小説なんか誰も書いてないんで、うまいと思えばうまいような気がする、書いて楽しい。やめる理由がないですよね。将来小説家になったら、ずーっと家でこんな楽しいことができるんだと思った。実際に小説家をやってみるとそんなに楽しくないんですけども(笑)。そのシャーロック・ホームズの物まねみたいな小説を書いてから、「将来何になりたい?」って質問に「小説家になりたい」って答えるようになりました。作家を志したのが11歳で、最初の本が出たのが29歳。18年ずーっと一貫して変わりませんでした。

――子どものころからの夢を実現されたんですね。


有栖川有栖氏: 結局小説家になったから自分で自分に「良かったねえ」っていってやろうかと思いますけども、でも、危ない橋を渡っていますよね(笑)。なれるっていう保証がないですからね。才能豊かでも世に出るチャンスがつかめないっていう人は山ほどいるでしょうから。そんな人が日本中にたくさんいるだろうなあって想像します。

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