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世界中の本好きのために

益川敏英

Profile

1940年2月7日、名古屋生まれ。日本の理論物理学者。あまり勉強好きではなかった幼少時代を経て、高校時代に当時世界的な物理学者だった坂田昌一博士に憧れ、名古屋大学に進む。理学博士号を取得後、1970年に京都大学に移り、理学部、基礎物理学研究所の教授、所長などを歴任。1973年に、小林誠博士とともに発表した「小林・益川理論」は、物質の存在の謎を解く画期的な理論として、世界中の注目を集める。2003年に京都大学名誉教授となり、大型加速器を使った観測によりその正しさが次々に実証され、2008年秋のノーベル物理学賞を受賞。2009年には京都産業大学益川塾塾頭、名古屋大学特別教授に就任。現在も研究の最前線で物理学の発展に努めている。

Book Information

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考え事をしたいときは、とにかく「歩く」んです。



2008年に「小林・益川理論」でノーベル物理学賞を受賞した、京都産業大学教授の益川敏英さん。「高校生時代には、芥川龍之介論を書こうと思っていた」という益川さんに、子供時代の読書体験からその読書法まで、幅広く語っていただきました。

最近の若い人は勉強家だが、こじんまりしている


――本日はお忙しいところお時間をいただきまして、どうもありがとうございます。現在、京都産業大学には、益川さんが2008年ノーベル物理学賞を受賞されたおりに設立された、教育研究機関「益川塾」があるそうですね。自然科学を志す研究者の教育研究機関になっているそうですが、現在、具体的にはどんな活動をおこなっているんでしょうか?


益川敏英氏: まず、理系と社会人類学系の二分野の研究者から、入塾希望を募る。そこから、僕ら選考委員が何人か選んで、大部屋で議論をしてもらうんです。そこで、なにかおもしろい話が出てくれば、それをテーマに年に1回ぐらいシンポジウムをやるんですね。

ちなみに、今年3月におこなったシンポジウムのテーマは、「神々の京都」だったかな。ここでは、「神像」をテーマにしている。「神像」というのは、「神様の像」のこと。意外と知られていないけれども、結構探せばあるんだよね。仏像をテーマにした研究は多数あるんですけど「神像」を題材にして研究している人はなかなかいない。だから、それをテーマにしたんです。

――参加者はどのような方がいらっしゃるんですか?


益川敏英氏: 年齢層でいえば、理系は比較的に若者が多いけど、人文社会系だったら40代ぐらいまでいます。ただ、僕はこの塾で成功するのは人文社会系の人たちじゃないかと思っている。理系の場合はね、そこで職を得て然るべき業績をあげていって、巣立っていくというのが一般的なんですよ。でも、人文社会系の方っていうのは、結構色んなところで活動されているんだけども、名刺があって、ちゃんとした肩書きがあって……というように、しっかりとした身分がないと調査ひとつでも申請しづらいわけなんですね。この塾を立ち上げたときも、「肩書きがないばかりに研究がうまくいっていない」という方々の手助けもしようという狙いもあったんですよ。ちなみに、現在の参加10名ちょっとぐらいだと思います。

――理系の研究者のように、若い20代の方と接されることも多いと思うのですが、若い人たちが「昔と違うなぁ」などと思われることはありますか。


益川敏英氏: いまの若い研究者たちも、よく勉強はしていますね。でも、理系の人だけに限った事じゃないと思うんだけど、いま、社会全体が、サラリーマン化しているんですよ。なんというか、覇気がなくなってきている。例えば、僕と同じときにノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎先生はね、29歳で大阪市大の正教授になっているんです。当時は、就職難で普通の人からしたら本当に職をみつけるのが大変だったにもかかわらず、もう既に正教授までいってるんですよ。それで普通の人だったら「もう満足」と思ってしまいますよね。でも、その南部先生はもっとガンガン議論の出来る仲間が欲しくてアメリカへ行ったわけ。

それに対して、最近だとよく言われることなんだけど、研究者たちの間で留学希望者が少なくなっている。「トップを目指さなきゃ、ほどほどのポストはあるじゃん」ということなんでしょうね。ほどほどの仕事をして、美しい奥さんと可愛い子供がいればそこそこ満足ということになっちゃった。だからそういう場合に、「最近の研究者は、少しこじんまりしてきちゃってるんじゃないかな?」っていう印象を僕は持ってますけどね。

古来エジプトから続く、「近頃の若者はダメ」論争


――最近は、「若者があまり本や新聞を読まなくなった」と言われて久しいですが、そうした若者の読書離れについてはどう感じられますか。


益川敏英氏: 単に、読んでいる内容が違うだけなんじゃないかとも思うんだけどね。我々が学生の頃、「お前たちは何も知らん」とかね「本を読まない」とか言われたけど、我々の10何歳上の人たちは、旧制高校なんだよね。そうすると彼らは全寮生活をしている。だから、文系理系みんな色々刺激し合えるわけ。例えば「お前もゲーテも知らないのか?」ってバカにされる。それは、文系理系関係なしにそういう話になるんです。彼らはそういう意味では素養があった。そういった社会の構造が変わってきて、我々みたいな年寄りが若者に「近頃の若者は…」って言っちゃうわけね。

あとね、「近頃の若者は」っていう言葉はね、エジプトのピラミッドの壁に落書きにも書いてあるらしいですよ(笑)。だから、それが本当だったら、人類は滅んでるはずなんだよ。滅んでないということは他のものに関心が移っているんだと思うんだよね。しかし、大人は若者にね、「ヘーゲルもあるよ。読んでみたら意外と面白いと思うよ」と、そういうことは伝えてあげてもいいんだと思いますけどね。ヘーゲルは難しいとは思うけど。

――先人たちに教えてもらって自分の知らない世界を知るというのは、若者にとって非常に大事なことですよね。


益川敏英氏: でもね、僕が考えるに、若者たちが自分と同じくらいの世代の仲間と議論するというのは非常に重要なんですよ。先輩、先生からお聞きすることはあります。伝わることもあります。しかしそれだけなのね。決して広がりがない。同じくらいの到達度と習熟度の人間が議論するとね、話が飛ぶのね。「お前こういうもの読んでるか?」といった時にね、読んでない時は他のものをぶつけるわけね。話題がそんなことで広がっていく。それは先生や先輩との議論ではあまり得られない体験であると思う。

益川敏英氏

人生のなかで「失敗」だと感じたことは、一度もない。


――ちなみに、若い頃の益川先生は、どんな学生だったんですか? 過去の失敗談や、逆にこれはやっておいてよかったなと思われることを教えて下さい!


益川敏英氏: いや僕は、失敗っていう概念がないんです。全てが成功ですよ。どういう意味かと言うと、「こうやってやったら、こういう答えが出るかな?」と思ってやってみて、期待していた答えが出なかったとする。でも、それは失敗じゃないんです。「そうやってやったら、そういう答えになっちゃった」という成功例になるんですね。しかも、その後に僕は、「なぜ自分の思った答えが出なかったのか?」ということは徹底して考えて、記憶しておく。そういう蓄積があるから、その次にまた一歩を踏み出すチャンスが来たときに、ボケっとしてた人よりは、それに早く気が付くんです。僕は何かをおこなったら、それを徹底的に分析します。その結論を棚の中に置いておくんです。

例えば、僕と共同研究して一緒にノーベル賞を受賞した名古屋大の小林誠くん(名古屋大学特別教授・2008年にノーベル物理学賞を共に受賞)とやった「速報会」。これは、参加者が海外文献を和訳して発表し合うという会合なんです当時は最新の情報は全部雑誌で来るんですけど、みんな早く読みたいから取り合いになる。だから、当番を決めて紹介することになっていたんです。英語で言う「ジャーナルクラブ」ですね。今だったらインターネットがあって、クリックすれば情報が出ますけど、当時そんなものは無かったから、お互いに情報交換する必要があったんです。

僕が「速報会」にデビューした時に渡された論文の中に、1964年に出たフィッチ・クローニンたちの論文がたまたま入っていた。そのときは、「これなんだろうな?」って思っていただけなんだけれども、その内容が、なんとなく頭に引っ掛かっていて…。自分でもそれなりに考えたんだけど、その段階では答えは出ないと。だから、棚の中にしまっておきました。それで1971年にトフーフトとベルトマン達の理論が出て、その計算が可能になったんです。「これで時期が来た」と思って、取り上げてみた。それが「小林・益川理論」だったんですね。

しかもね、日本人が書く論文はね、東洋の片田舎の若造が書いたようなものだから、せっかく書いてもほとんど世界には知られないの。そこで、実際に僕らが論文を書いた3年後にアメリカの人が似たような論文を書いているしね。普通だったら、そのアメリカ人の論文が知れ渡ってしまうと、あとから「日本にもこういう論文があるぞ」って言っても、せいぜい同着になっちゃうんだよね。

――先に論文を書かれた人がいても…ですか。


益川敏英氏: 先に内容が知れ渡っちゃったほうが勝ちだね。だけど、そのときはそうならなかった。筑波大学の元学長の岩崎洋一さんっていう方がいるんです。彼は昔、京都大学基礎物理学研究所の助手をやっておられたんですが、彼がたまたまその仕事を見ていて下さった。その後、東京教育大(今の筑波大)に移られて、箱根の向こうに伝えて下さったわけですね。

そこで、のちに筑波大学の高エネルギー加速器研究機構機構長を務めることになった菅原寛孝さんという先生が、「この研究は面白いから、ちゃんと世界に宣伝しなきゃならない。私の知人の何人かへ手紙を書くかい?」って言って下さったわけです。

しかし、あんまり反響がないもんだから、彼は少しその論文を発展させてね、論文にしてアメリカの物理学会で講演された。それでようやく「無視できないと」と知れ渡ることになるわけね。でもさ、面白いものでね、仮に誰かの論文と似た内容のものを書いても「見なかった」ってことにすればいいんですよね。つまり、無視しちゃうんですよ。

――つまり「誰の影響も受けてない。これはオリジナルである」と言い張れば、その論文はまかり通ってしまうということですね。


益川敏英氏: 結構そういうケースがあるんですよね。でも、耳で聞いちゃうとダメなんですよね。それから、僕たちの論文を読んだという人たちが、ぼつぼつ増えていったっていう感じですね。だから、岩崎先生、菅原先生のお二方は、僕にとっての恩人ですね。

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